2016年1月4日月曜日

「新井一賞」を受賞しました。

あけましておめでとうございます。

私事ですが(そもそもブログはすべて私事)
シナリオ・センターの創始者の名前を冠した
脚本賞「新井一賞」を受賞しました。
約700編中の1位です。

「0時1分のシンデレラ」という題名の10分間の短い作品です。
以下、全文記載しておきました。
サクっと読めますので、お暇な時にどうぞ。

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「0時1分のシンデレラ」

〈人物表〉
奈良礼二(27)振り込め詐欺犯
馬場 南(35)5年間ひきこもりの痛いアラサー女

〈本文〉
〇渋谷駅・スクランブル交差点(夜)
   ネオン。喧噪。行き交う無数の靴。

〇渋谷・ハチ公前(夜)
   大勢の人。植え込みに座る奈良礼二(27)が厳しい表情で、複数の携帯電話を操作している。どれもガラケー。
女性の声「……あの」
   顔を上げる礼二。
   馬場南(35)が立っている。
南「……け、携帯貸してもらえませんか」
礼二「は? 何だよお前、いきなり」
南「なくしちゃったんです(涙声で)急いで連絡しないといけなくて……お願いします」
   礼二にすがりつく、南。
礼二「どっか他行けよ。公衆電話あるだろ」
南「連絡先分からなくて。でもミクシィができれば」
   周囲を見回す礼二。
礼二「…他の奴に頼めよ。誰だっていいだろ」
南「……(見回し)私、角型はちょっと」
礼二「角型?」
南「新しい携帯は、使ったことがないから」
礼二「角型ってスマホ?(失笑)」
   礼二のガラケーを指さす南。
南「見たところ、たくさんお持ちみたいだし」
礼二「(携帯を隠し)全部使ってんだよ」
南「……(肩を落とす)そう、ですか」
礼二「(頭をかき)待ち合わせ? 恋人とか」
南「いや、そうじゃないんですけど……」
礼二「自分で探せよ。この辺にいるんだろ」
   ハチ公の銅像を指さす礼二。
礼二「そこよじ上って、名前呼べよ。名前。何でもヴァーチャルに頼るんじゃねえよ」
南「……名前も、顔も、知らないんです……今日、初めて会うんです」
礼二「何だよ(苦笑)出会い系かよ」
南「(大声で)そんなんじゃありません!」
礼二「何怒ってんだよ……」
南「(一万円札を数枚抜き出し)お願いします」
礼二「……」
   さらに数枚抜き出し、差しだす南。
礼二「……別に、いいけど」
   紙幣と交換で携帯を差し出す礼二。
南「ありがとうございます!」
   礼二、ため息をつき、作業に戻る。慣れた手つきでメールを打ち始める。

〇携帯電話・モニター
   長文のメール。「年金制度の大幅な改正に伴い、還付金のお支払があります。お急ぎの場合は、コンビニ等のATMでお受け取りください。ただし、操作が煩雑となりますので、必ず、所定の番号までお電話ください」とある。
   大量のアドレスに一斉送信される。

〇渋谷・ハチ公前(夜)
   隣り合って座る礼二と南。
   携帯をじっと見つめている南。
礼二「……待ち合わせ、何時だったんだよ」
南「8時です」
礼二「2時間も過ぎてんじゃん。もうダメだろ。とっとと携帯返して、帰れよ」
   びっこを引きながら立ち上がる南。
南「……(雑踏を仰ぎ)渋谷って、こんな時間でも明るいんですね。人もたくさんいるし……みんな何だか楽しそう」
   深呼吸する南。排気ガスにむせる。
礼二「あんたみたいのが来る場所じゃねよ」
南「……ここなら、誰が誰だか分からないから。もし、気に入らなかったら、そのまま合わないでいられるじゃないですか」
礼二「……」
南「(苦笑)私、外出るの久しぶりなんです。ずっと引きこもってたから……」
礼二「……だから、角型か(苦笑)」
南「彼が……誕生日くらい外に出てきなって」
礼二「それで、渋谷かよ」
南「生まれ変わるんだから、これまでとかけ離れた場所で会おうって……(苦笑)でも私、何着ていったらいいかとか分からなくて。オシャレなお店とか無理だから、それで駅前のイトーヨーカドーで……(自分の恰好を見返し)慣れないヒール履いて、皮剥けちゃって。嫌ですよね、そんな女」
礼二「……」
南「でも、もうちょっとでいいから、夢見させて下さい。誕生日の間だけでいいから」
   南の握りしめている携帯が光る。
   狂喜する南。通話を押して
南「もしもし? え? 還付金? ATM?」
   携帯をひったくり、走り出す礼二。

〇渋谷・スクランブル交差点
   路上を行き交う無数の靴。
礼二の声「年金の受け取りに使っている口座番号を押して……それから、今度は二つ並んでいるボタンの右側を、え? それは振り込みボタンだって? いや、おかしくないですよ。形式だけのものですので……ちょ、ちょっと、待って(切れる)」

〇渋谷・雑居ビル・裏手(夜)
   ガラの悪い男2人に詰め寄られる礼二。
男A「一週間やってゼロ件って何だよ、こら」
男B「なめてんのか、お前」
   男らに、何度も腹をこづかれる礼二。
礼二「すみません。すみません」
   懐から、南にもらった金がこぼれる。
礼二「いや……そ、それは」
   抵抗する礼二。奪い取る男A。
男A「こんなはした金で済むと思うなよ」
男B「本気で足抜けたかったら、結果出せ」
   男達が立ち去ると、バケツを蹴飛ばす礼二。どこからともなく聞こえてくる路上ライブの歌声に
礼二「うるせえ! へたくそが!」

〇渋谷・ハチ公前(深夜)
   歩いてくる礼二。衣服の乱れを整える。
礼二、歩み寄り、南に携帯を差し出す。
礼二「持っとけよ。まだ、時間あんだろ」
南「……お仕事は、いいんですか」
礼二「いいんだよ。別に」
南「……色々大変なんですね。渋谷の人も」
礼二「最初は、俺も眩しく感じたけどな」
南「……え?」
礼二「(ネオンを目に)田舎もんばっかだよ」
   礼二、血の混じったつばを吐き捨て
礼二「本当に東京に生まれ育ったような奴はこんなとこ来ねえよ。来るのは、田舎もんばっか。渋谷なんて……東京だって、そうだろ。そんな大したところじゃねえよ」
南「……そうなんですか」
礼二「夢だ希望だって、聞こえはいいけどよ、要するに蛾だよ、蛾。光に群がる蛾。結局、何者にもなれやしねえ。あんたも……俺も」
南「そんなこと」
礼二「からかわれてただけだろ? 最初から。どこかで見て笑ってるのかもしれねえぞ」
南「……」
   ×  ×  ×
   礼二の腕時計。12時を回るところ。
礼二「(ため息)結局、ダメだったな」
南「……」
礼二「生まれ変わろうと思って、生まれ変われたら世話ねえよ……そんな、簡単なもんじゃねえだろ」
   立ち上がり、よろよろ歩き出す南。
礼二「……どこ行くんだ? 帰んのか?」
   ハチ公の上によじのぼりはじめる南。
   好奇の視線を向ける周囲の人。
   ハチ公にまたがる南。大きく息を吸い
南「おにゃんこクラブの会員と言うと年がばれるかなさん! 聞こえていますか? 私です! 5年間ひきこもりの痛いアラサー女でごめんねです!」
   静まり返る周囲。失笑が漏れ出す。
礼二「……何でそんな名前にしてんだよ」
南「遅れてごめんなさい。まだいますか!?」
   ざわつく周囲。人だかりができる。写真や動画を撮り出す者もいる。
南「心配しないでください。ただ……ただ一言だけ、御礼が言いたくて」
   身を乗り出す南。ハイヒールが落ちる。
南「あなたのおかげで、外に出てくることができました。すごく勇気のいることだったけど、今は来てよかったと思ってます。何を着ていこう、何を話そう、どこに行こう……そういうのって長い間、忘れていました。初めてデートした、あの頃に戻ったみたいで、一瞬だけど、夢を見られました」
礼二「……(天をあおぐ)」
南「本気で見た夢は、たとえ、夢から覚めたとしても、魔法が解けることはない……ドキドキとか、ワクワクとか……そうですよね? おにゃんこクラブの会員と言うと年がばれるかなさん! 私もう大丈夫です。私これから、頑張りますから、一生懸命頑張りますから! 聞こえていますか?」
礼二「……」
   礼二、立ち上がると、雑踏に分け入り
礼二「お前ら笑ってんじゃねえよ!」
   礼二、人波をかきわけ、南のもとに歩み寄る。あと少しのところで、一人の男、多和田誠(44)に先を越される。多和田、落ちていたハイヒールを拾い上げると、南に歩み寄り
多和田「ごめんよ……ひきこもりの痛いアラサー女でごめんねさん」
南「……おにゃんこクラブの会員と言うと年がばれるかなさん?」
   見つめあう南と多和田。周囲から歓声。
礼二「……(呆然)」
   頭をかく礼二。回れ右して歩き出す。
礼二「やってらんねえよ(どこか嬉しそう)」
   礼二の腰の携帯電話が光る。携帯を二つに折って捨てる礼二。鼻歌混じりで、雑踏に挑むように歩き出す。 



2015年11月25日水曜日

TBSの深夜枠ドラマ「おかしの家」が面白い。水曜・午後11:53

舞台は東京下町のさびれた駄菓子屋。
おばあちゃんに代わって、店を切り盛りする太郎(オダギリジョー)のもとに、元同級生の無職 (勝地)や、後輩のニート、先輩のつぶれかけた風呂屋などが集ってきては、駄菓子を食べながら「今の世の中これでいいのか?」「俺たちにできることはないのか?」みたいなことを語り合う。


舞台の大半は、駄菓子屋の裏庭です。
ドラマチックなことはほとんどありません。
でも、すごく楽しいです。
たった30分ですが、ほのぼのするし、
切なくなるし、やりきれなくもなるし、
感動するし、考えさせられるし…
ものすごく、奥が深いというか。


「この駄菓子屋はいずれ確実につぶれる でもこの駄菓子屋は無意味で無駄なものだとどうしても思えないのだ」
ドラマは毎回、冒頭のオダギリジョーのモノローグからはじまります。
この言葉通り、太郎達のコミカルな主張や日常を、面白おかしくとらえつつも、ドラマは最終的には「人生に、無意味で無駄なものなんかない」ということを常に言い続けています。


駄菓子屋にも、
駄菓子屋の裏庭にも、
子供時代にも、
ニートの過ごす時間にも、
世間から見たら非効率的で非生産的だと思われる物の中にも、
大切なものはある。


っていうことを、


現代社会のスピードや厳しさについていけず
取り残されてしまった人たちが、訴えるわけです。


セリフと演出が本当にうまくて、私なんか、
毎回毎回、見終わって「ほお」って感じです。
※監督は、「舟を編む」で日本アカデミーを獲得した石井裕也監督。さすが。


特に私が感動したのは
藤原竜也さんがIT社長として登場した回。


<<確かこんな話です>>
いつものように駄菓子屋の裏庭で
くだらない話をしている太郎達。
かつての同級生が年収1億円のIT社長になったことを知る。
「こんなところでくすぶっている俺たちなんか
上から目線でバカにされるのでは?」と不安な太郎達だったが、
現れた同級生はそんな素振りもみせず、
「立ち止まって考えるのは大切だ」
「俺もお前たちみたいにしたい」
むしろ、太郎達の自由をうらやむ。
思い出話に花が咲き、意気投合する太郎達。
飲みに出かけたお店で、太郎は元同級生に、
「会社の人に」と、照れ臭そうに駄菓子をプレゼントする。
元同級生は、そのお返しに、自身が経営するレストランに招待する。
当日、めかしこんだ太郎達はレストランへ出かける。
出迎える元同級生。すごく幸せそう。
後日、太郎は、元同級生が脱税の容疑で逮捕されたことを知る。


プロットに起こすと、こんなもんです。
こんなもんですが、すごく面白いです。


時代の流れに取り残された人
時代の流れにあらがう人
時代の流れに乗った人


世の中、色んな人がいます。
それぞれに人生があって、それぞれの選択があります。
このドラマが面白いのは
誰がいいとか、誰が悪いとかではなく、
むしろ、みんな辛く・苦しいと言っているところです。


特にこの回では、藤原竜也さん演じる元同級生の
「苦しくて苦しくて、走るのをやめたい、でも立ち止まれない」
そういう現代社会を生きる人たちの苦悩を
しっかり(でもあざとくない)描いているところに好感を持ちました。
※私見ですが、今の世の中は、みんな「このままじゃダメ」と思っているのに
 誰もとめられない、流れを変えられない、壊れかけた世の中に見えます。


太郎から駄菓子をプレゼントされたIT社長は
どんな気持ちであれを受け取ったんでしょうね。
あのシーンだけで、色んなものが見えたような気がしました。


現在第5話。
あと少しですが
楽しみに見守っていきたいです。

2015年11月18日水曜日

映画目録「NO」


<あらすじ>
舞台は1988年当時の南米チリ。当時、独裁を強いていたピノチェト政権に対し、国際世論が介入。ピノチェト政権のYESかNOかを問う、国民投票が実施されることになり、各陣営で投票前の1ヶ月間、テレビCMを放送することに。本当は「NO」だけど、長年自由を奪われてきた国民たちは「どうせ何をやっても無駄だ」とあきらめムード。「YES」派の圧倒的有利が囁かれる中、一人の若き広告マン、レネ(ガエルガルシアベルナル)が「NO」を掲げ、敢然と立ち上がる。※実際に起こった出来事をモチーフにした映画です。

<多分ここが面白いところ>
NO陣営のCMは当初、ピノチェト政権のこれまでの悪行を訴え、正義や秩序の回復を訴えるものでした。しかし、レネは「これでは人は動かない」と反対。ロゴを虹を用いたカラフルなものにしたり、テーマソングを作ったり…コカコーラのCMのような「明るく・楽しい」CMを提案します。長年、暗殺、拷問など不当な人権侵害に苦しんでいた人々は「分かってない」「軽すぎる」猛反対。でも、レネはあきらめません。自分なりのやり方で、徐々に周囲を巻き込んでいきます。
伊坂幸太郎の小説に「悪に立ち向かうのは、正義じゃない、勇気だ」というセリフがありますが、この映画にも似たようなものを感じました。どれだけ正しかったとしても、人は正義だけでは動いてくれないんですね。コカコーラのようなCMがいいのか悪いのかはさておき、「悪に立ち向かう勇気」だけでなく、「常識にとらわれない勇気」が相まって、徐々に世論を動かしていく、というのがとても面白く感じられました。私が、広告畑の人間ということもあるでしょうが。


<印象的なシーン>
ラストシーンですね。国民投票で多数派となったNO派は、見事、ピノチェトを引きずり下ろすことに成功します。周囲が狂喜乱舞する中、レネはほとんど喜びを示しません。「終わった」みたいな感じで。ただ、町に出て、みんなが嬉しそうにしているのを見て、微笑みます。それで、映画は終わりです。もっと盛り上がってもいいんじゃん?という意見もあるようですが、私は、これを見て、この映画がどういうものなのか、分かったような気がしました。
というのも、映画を見て、ずっと疑問に思っていたんです。なぜ、レネは「NO」キャンペーンに力を貸したのか。自由のため? 国民のため? 未来のため? 自分のため? 独裁政権に刃向うわけですから、当然、リスクを伴います。事実、付け回されたり、嫌がらせの電話を受けたりします。それでも、レネは一歩も引きません。なぜなのか? 断片的な情報として、「妻が活動家であり、始終、権力者に立てついては痛めつけられていること」「妻は家を出て、他の男と暮らしていること(レネはまだ彼女が好きっぽい)」「レネは上司の広告マンとライバル関係にあり、YES陣営に加わった上司に負けたくないと思っている」などが明らかになっていますが、直接的な動機には結びつかないような気がしました。
本来、こういった主人公の心の動きは「ドラマの核」となるはず……それが一切語られないというのは、作り手が「あえてそうしたから」だと思います。これはあくまで推論なのですが、レネは、政治的活動としてNOキャンペーンに加わったのではなく、あくまでも一人の広告マンとして「NO派の広告を作った」のではないでしょうか。ただ依頼された仕事を、成功に導くために、最善を尽くした。そう考えると、いまいち盛り上がりに欠けたラストシーンに納得がいきます。私もイチ広告の作り手として、こういう態度って、よく分かるんですよね。営業とかはヤッター!ワーイ!みたいになるんですけど、こっちとしては「無事にいってよかった」それだけなんです。でも、お客様のところにいって、実際に喜んでいる姿を見ると、なんかほっこりするというか、実感がわくというか。つまるところ、NOという映画は、「正義によりかからない」アイデアで切り拓く」「常識を恐れない」、広告としてのあるべき姿を示した作品だったんじゃないかなと思います。

2015年10月28日水曜日

映画目録「明日へのチケット」


<あらすじ>
舞台は国境を越えてローマへ向かう列車の中。偶然、居合わせた乗客達の一夜限りのオムニバスドラマ。1話目は、若い女に心を奪われて妄想をたくましくする初老の男性の話。2話目は老人の世話をすることで兵役を逃れようとした若者が、結局は自分勝手な中年のおばさんに振り回される話。3話目はチャンピオンズリーグの応援に行くセルティックのサポーター3人組が切符をなくして騒ぐ話。そこに、移民の家族が加わっていく感じ。
<多分ここが面白いところ>
近しい場所で、長い間接しているにもかかわらず、何の関わり合いもない「乗客」という関係に注目したのは面白いなと思いました。普段は気にもとめませんが、車内にいる人の数だけ、人生があって、考え方も異なるんですよね。何かの事件があって犠牲者の際に、北野武が「犠牲者が1000人と考えると実感がわかないけど、1人1人の人生があって、それが1000個失われたと考えると、どれだけ悲惨かよく分かる」と言っていましたが、そんな感じでしょうか。登場するそれぞれのキャラクターが濃くて、面白かったです。とくに、セルティックのサポーターのバカさとか、清々しさ抜群でした。
<印象的なシーン>
話自体は3話目が面白いのですが、1話目のラストが印象に残りました。

初老の男性が食堂車でぼんやり物思いにふけっています。食堂車は混んでいますが、初老の男性の隣は誰もいません。なぜなら、快適に過ごすために1人で2席分のチケットをとったからです。それをいいことに初老の男性は「あの女ともう一度会いたい、会って、あんなことやこんなことをしたい…」妄想全開(いいご身分だなあ)。そんな時、初老の男性は、ドアの向こうのタラップに、食堂車に入ることを許されない移民の親子が身を寄せ合っているのに気づきます。移民達は赤ん坊にミルクをあげようと哺乳瓶にお湯を入れるのですが、高圧的な兵士が「邪魔だどけ!」ってやってきて、ミルクが床に倒れてしまう。お腹を空かせた赤ん坊が泣きだす。残酷な現実を前に、それまで、和やかだった車内が一気に緊張感を増します。初老の男性も、自分の身勝手さを顧みて、妄想を中断します。そして、しばし悩んだ後、食堂車のスタッフを呼びとめるとミルクを頼みます。そして「温めてくれ」と付け加えます。それを聞いた乗客達の表情がほっと和らぎます。そして、ミルクがやってくると、初老の男性はそれを手に食堂車を出ます。この間、セリフは一切ありません。幸せというものの脆さや、人間の善なる部分を表現した、とてもいいシーンだと思いました。
※赤ちゃん用の粉ミルクと市販の成分無調整のミルクはそもそも違います。せっかく持って行っても赤ちゃん飲めなかったんじゃないかな、と思いましたが、まあ、それはそれ、これはこれということで。

2015年10月15日木曜日

映画目録「ブレッドアンドローズ」

<あらすじ>
姉を頼りに、メキシコからLAにやってきた移民のマヤ。姉のローサの紹介で、清掃員として働きだすが、そこは移民の弱みに付け込んで低賃金でこきつかう「今でいうBLACKな環境」だった。そんな中、マヤは偶然、労働組合員のサムと知り合う。「声を上げなければ、自分達の権利は勝ち取れない」と説くサムに心惹かれ、運動にのめりこんでいくマヤ。一方、病気の夫や子供二人を養うのに手一杯のローサは、それを冷ややかな目で見つめる。
<多分ここが面白いところ>
・マヤとサムの出会いが素敵
警備員に追われているサムを、清掃員のマヤがかくまってあげることで二人は知り合うのですが、そのコミカルなやりとりは「ローマの休日」を思い起こさせます。マヤは不法入国の移民。サムは組合の白人男性。身の上の異なる二人を「互いに意識させる」のに十分な出会いだったと思います。
・マヤが可愛い!
マヤは、若くて世間知らずで、とても勝気で、そしてものすごく素直な性格です。嬉しいことがあればもろ手を挙げて喜び、納得いかないと思えば手をぶんぶん振って異を唱える。思い込んだら、すぐに行動に移しちゃう。午前3時だろうが、お構いなし。移民=可哀想という図式が一般的だし、事実、その通りなのですが「移民という社会問題」をそのまま取り上げようとすると、どうしても映画が重たくなりがちです。その点、陽気なマヤのキャラクターがずいぶん、映画の印象を救っていると思います。
<印象的なシーン>
運動に手を染めた同僚を会社に密告した姉のローサを、「裏切り者!」とマヤが詰め寄り、それに対してローサが言い返すシーンがあるのですが、それがとにかく堪えます。早くに米国に渡ったローサは、長い間、メキシコにいる家族に送金してきましたが、実は、その金はローサが売春した金、文字通り体で稼いだ金だったのです。それに、そもそもマヤがLAで清掃員の仕事につけたのも、ローサが係の男にやらせてやったから…(涙)。「黒いのも、白いのも…私は世界中のチンポをくわえてきた。いつも尻拭いは私。かわいそうなローサ。誰も同情してくれない」そう言って、自分をせせら笑うローサに、「私は知らなかったの。何も知らなかったの」というだけのマヤ。どこのどんな世界でもそうですが「唯一絶対の正義」というものは存在しません。生きる人の数だけ、言い分があります。マヤの中の正義が大きく揺らぐのと同時に、移民達が置かれている絶望的な状況をよく表している、とてもいいシーンだと思いました。

2015年9月25日金曜日

映画目録「ゴースト・ワールド」

<あらすじ>
イーニドとレベッカは幼馴染み。何かに熱中する人を「あいつはバカ」「こいつはクズ」とこきおろし、十代の多感な時を無為に過ごしてきた。高校卒業後、家を出て、二人で一緒に暮らす計画を立てるが、仕事を見つけて社会になじんでいくレベッカに対し、イーニドはつまらないことで揉めて仕事を首になるなど、一向に進歩がない。レベッカとも徐々に疎遠になり、寂しさを覚えるイーニドは、ある日、レコードコレクターのさえない中年男性と知り合い、はみ出し者同士、徐々に惹かれあっていく。


<多分ここが面白いところ>
・淡々と孤独を描いているところ
十代は誰にとっても、多かれ少なかれ孤独なものです。「どうして誰もわかってくれないんだ」とか「みんな死ね」とか「自分だけは特別だ」とか。暴力とか、いじめとか、ドラッグとか、そういうツールを使って描くのは割と簡単ですが、本作ではそういうのを一切使わないで、正面から「孤独」を描いています。親友がいるけど、別に心の友ってわけじゃなくて、単に暇を潰す仲にすぎなくて、でも、いないよりはマシで、とりえあずキープって感じなんだけど、いざいなくなってみるとやっぱり寂しくて、周りを見回してみたら私なんていてもいなくても関係ない、誰も必要としていないのに気付いて、だったら、誰も自分を知らない、ここじゃないどこかに行きたくなった…みたいな。書いていると鬱々としてきますが、この作品はそういう暗さも特にありません。共感も同情もしない代わりに、批判も評価も一切なし。淡々と進んでいきます。その「淡々さ」にむしろリアリティを感じました。
・意味のない会話に意味があるところ
といっても別に伏線になっているとか、そういうわけじゃありません。たとえば、イーニドとレベッカの間で「やる」という表現がよく出てきます。「あいつと超やりたい」とか「やらなすぎてストレスたまってきた」とか「とりあえずやる」とか「すげーやりたい」とか。よく聞いてみると分かるのですが、二人の会話はこのように、ほぼ会話になっていません。そもそも趣味も全然合ってないし。それでも会話になってしまうのが十代のリアルなのかもしれませんが、私は、その裏に「親友面した軽薄な関係」というのも見え隠れしたような気がしました。実際、二人は高校を卒業したら疎遠になっていったわけですし(私も若い頃にこういう関係が多々ありました)。作品を作ろうとした場合、話を早く前に進ませたくて、「打てば響くような会話」を作りがちですが、本作のように「キャッチボールになっていないぶつ切りの会話」も、そこに意味があるなら、ありだなと思いました。

<印象的なシーン>
映画は「世の中の一切を小馬鹿にして、興味を持たないイーニドが、なぜか、来ないバスを待っているボケ老人に心を惹かれる」という設定なのですが、それはもちろん、「現実からの逃避」を意味します。空想レベルではなく、「物理的に逃げ出したい」ということなのだと思います。ラストシーンでは、絶望したイーニドの前に、来るはずのなかったバスがきます。そして、イーニドはバスに乗ってどこかへ去っていきます。「自立」なのか「自殺」なのか、結論は特にありません。すっきりしないけど、私は、こういう映画なら、結末は観る人に委ねる、というのもありかなと思いました。


2015年9月3日木曜日

映画目録「プロミス・ランド」


<あらすじ>
石油に代わる、次世代のエネルギーとして期待される「シェールガス」。その開発用地を仕入れるために、ペンシルヴァニアの田舎町にやってきた主人公。いつものように住人達を「足の下に金が埋まってる。それを掘り出して、人生を変えるんだ」と口説き落としていくが、ある時から「シェールガスは環境破壊を伴う」という反対運動に合い、交渉がうまく進まなくなる。住人達からはそっぽを向かれ、意中の女性からも距離を置かれ、次第に、仕事への信念や情熱が揺るがされていく主人公。名誉回復のために、地元みんなで盛り上がれるお祭りを企画するが…
<多分ここが面白いところ>
・善悪の境界線を設けてないところ
「農村部の貧困」「環境破壊」を描いたドラマはたくさんありますが、この映画は、開発会社のエリート社員を主人公にしている時点で、面白いと思いました。一般的に「開発会社=悪者」となりがちですが、この映画は、悪者が特に見当たりません。みんな、自分の生活や夢や希望があって、それなりに葛藤を抱えながら生きています。そのドラマが、きちんと描けていたのが好感を持てました。
・日々の営みに対する考え方のギャップ
この映画は、主人公と、それを取り巻く人々との間にある“ギャップ”が大きなテーマになっています。それは、色んなシチュエーションで細かく表現されていますが、具体的・明確に「これ」と表現されることはありません。私が思うに、それは『何気ない日々の営み』に対するとらえ方なんじゃないかと思います。よく、女の人で、付き合っている男の人に、悩みや不安を愚痴る人、いますよね。で、男が「じゃあこうしたら」って解決策を提示すると、「そんなこと聞いてるわけじゃない」みたいな。別に、解決してほしいわけじゃないんですよね。自分の人生を共有したいというか、何というか。主人公はいい奴なんだけど、こういった日々の小さな営みに、まったく理解がないんですね。むしろ「解決策を提示してるのに、何で怒るんだ?」と思っちゃう。私も似たようなところがあって若い頃はずいぶん苦しめられたので、主人公の気持ちになってみてしまいました。
<印象的なシーン>
主人公が一人、酒場で酒を飲んでいるとき、反対派の住人が絡んできます。「てめえも農家出身なんだろ? こんなことして恥ずかしくねえのか!?」みたいな感じで。そん時、主人公が言い返すんですよね。「あんたらが手に入れるのは、はした金じゃない。人生を変える、ぶっ飛ばし金なんだ。子供を大学に行かせられない? ぶっとばせよ。銀行に金が返せない? そんなのぶっとばせ」と。これを聞いた住人達は、怒ります。でも、主人公は、なぜ彼らが怒るのか理解できません。主人公と住人達の間にある、埋めがたい溝(人生に対する考え方の差)を、うまく表現していたと思います。