現在、コピーライターとして働く傍ら、
「シナリオライター」になるため、
表参道にあるシナリオ専門のスクールに通っています。
このブログを書き始めたころは、
広告代理店に勤務するコピーライターでした。
脚本のことなんて、これっぽっちも考えたことはありません。
「シナリオ書こうかな」
と最初に思ったのは2011年のことです。
僕がすごく好きな映画に
「おくりびと」という映画があるのですが
ある時、本屋でその脚本を手にする機会がありました。
脚本を読むのは初めてだったのですが
案外、スラスラ楽しく読め、
「これなら自分にも書ける」と思ったのがきっかけです。
無知ほど恐ろしいものはない、と言いますが、
今考えると相当恐れ知らずですね(汗)。
おくりびとの脚本家はコピーライターとしても有名な
「小山薫堂」さんなのですが、それも大きかったかもしれません。
「コピーって脚本もいけるんじゃん」って
これまた壮大な勘違いをしたわけです。
当時、コピーライターとしての自分に
行きづまりを感じていたこともあり、その後、
仕事は片手間にして、3ヶ月ぐらいかけて、
「おくりびと」の脚本を見ながら、見よう見まねで脚本を書きました。
当然ですが、基礎もへったくれもありません。
今読み返すと、めちゃくちゃなのですが
それが、どういうわけか、WOWOWシナリオ大賞で最終選考まで残りました。
500本近い応募作の中の10本に選ばれたのです。
「おめでとうございます。最終選考まで残りましたよ」
事務局からの一本の電話。人生の方向性を大きく変えた瞬間でした。
2014年9月29日月曜日
2014年9月25日木曜日
回顧録「一生モノの1ヶ月」
私達が子供を育てるに当たって
他の家庭とちょっと変わった点がありました。
それは以下の3点です。
・母乳ではなく粉ミルク
・紙おむつではなく布おむつ
・できるだけ両親に手間はかけさせない
※一つひとつに理由があるのですが、長くなるので割愛。
他の家と比べることができないので(苦労は人それぞれ)
はっきりとは言えませんが、それなりに、大変でした。
夜中も3時間起きに粉ミルクを作りました。
毎日、大量の洗濯物を洗って、干しました。
臭いとか、汚いとか、そういう感覚も特にありませんでした。
ただ、ひたすら眠かったです。
育休を取得して1ヶ月、
白髪が大量に増え、体重は2キロ減りました。
でも、大変だったけど、
やってよかったと思います。
●1つは「愛情の根拠を得たこと」。
子供が生まれた直後、
「何かと世話がかかるから」という理由で
1~3ヶ月くらい、奥さんが子供を連れて実家に戻る場合が多いですが。
少なくとも「自分はその道を選ばなかった」。
この自信は大きいです。
別に威張ることでも何でもないのですが
たとえるなら、予選免除ができるのに、
予選をあえて戦い抜いた、みたいな。
仮に、子供がこの先、
何か私に反抗することがあったとして。
私は「お前のためにお金を稼いだ、働いた」
そんな間接的なアピールではなく、
「お前のために、眠い目をこすってミルクを上げ、げっぷをさせ、時に吐かせてしまうこともあったが、その度にお着替えをさせ、びっくりするほど臭いうんこをしたら、キレイに拭きとって、おしめを変え、風呂に入れ、肌荒れしないように全身にくまなくクリームとパウダーを塗り、眠いのに眠れないと言ってぐずるお前を連れて、夜道をひたすら歩き回って、必死であやした」
そういう直接的なアピールをすると思います。
たった1ヶ月そこらで何を言う。
そう思われるかもしれませんが、
この「負い目のなさ」が実力以上の力を発揮するのです。
●2つは「子育てに理解ができたこと」。
子育てというのは、本当に大変なんだなと
この1ヶ月で肌身に沁みて分かりました。
1ヶ月経った頃には会社に行きたくてしょうがありませんでした。
世の中には主夫という職業もあるようですが
とても私には務まりそうもありません。
私は、もともと「経験していないことは分からない」
という非常に傲慢で思いやりの欠けるところがあります。
この経験をせずにいたら、
きっと育児も家事も軽んじていたと思います。
「何をそんな手間取ってるんだ。さっさとやれよ」みたいな。
今は、少なくとも、そういう意識はなくなりました。
基本的に土日を除き、すべてを妻に任せ切っている状態ですが、
「上手く」とか、「効率よく」とかそんなの高望みはしません。
私自身、1ヶ月にして投げ出しかかっていたのですから。
とにかく、取り組んでもらえるだけで感謝感謝なのです。
あれから早いものでもう3年が経ち
子供もすっかり大きくなりました。
もう可愛い獣ではありません。可愛い怪獣です。
毎日、振り回されていますが、
少なくとも、あの1ヶ月ほどは辛くありません。
少なくとも、ご飯は勝手に食べてくれますし、うんちも自分でできますし。
何より、言葉が通じますし。
あれは、本当にいい経験だったと思います。
他の家庭とちょっと変わった点がありました。
それは以下の3点です。
・母乳ではなく粉ミルク
・紙おむつではなく布おむつ
・できるだけ両親に手間はかけさせない
※一つひとつに理由があるのですが、長くなるので割愛。
他の家と比べることができないので(苦労は人それぞれ)
はっきりとは言えませんが、それなりに、大変でした。
夜中も3時間起きに粉ミルクを作りました。
毎日、大量の洗濯物を洗って、干しました。
臭いとか、汚いとか、そういう感覚も特にありませんでした。
ただ、ひたすら眠かったです。
育休を取得して1ヶ月、
白髪が大量に増え、体重は2キロ減りました。
でも、大変だったけど、
やってよかったと思います。
●1つは「愛情の根拠を得たこと」。
子供が生まれた直後、
「何かと世話がかかるから」という理由で
1~3ヶ月くらい、奥さんが子供を連れて実家に戻る場合が多いですが。
少なくとも「自分はその道を選ばなかった」。
この自信は大きいです。
別に威張ることでも何でもないのですが
たとえるなら、予選免除ができるのに、
予選をあえて戦い抜いた、みたいな。
仮に、子供がこの先、
何か私に反抗することがあったとして。
私は「お前のためにお金を稼いだ、働いた」
そんな間接的なアピールではなく、
「お前のために、眠い目をこすってミルクを上げ、げっぷをさせ、時に吐かせてしまうこともあったが、その度にお着替えをさせ、びっくりするほど臭いうんこをしたら、キレイに拭きとって、おしめを変え、風呂に入れ、肌荒れしないように全身にくまなくクリームとパウダーを塗り、眠いのに眠れないと言ってぐずるお前を連れて、夜道をひたすら歩き回って、必死であやした」
そういう直接的なアピールをすると思います。
たった1ヶ月そこらで何を言う。
そう思われるかもしれませんが、
この「負い目のなさ」が実力以上の力を発揮するのです。
●2つは「子育てに理解ができたこと」。
子育てというのは、本当に大変なんだなと
この1ヶ月で肌身に沁みて分かりました。
1ヶ月経った頃には会社に行きたくてしょうがありませんでした。
世の中には主夫という職業もあるようですが
とても私には務まりそうもありません。
私は、もともと「経験していないことは分からない」
という非常に傲慢で思いやりの欠けるところがあります。
この経験をせずにいたら、
きっと育児も家事も軽んじていたと思います。
「何をそんな手間取ってるんだ。さっさとやれよ」みたいな。
今は、少なくとも、そういう意識はなくなりました。
基本的に土日を除き、すべてを妻に任せ切っている状態ですが、
「上手く」とか、「効率よく」とかそんなの高望みはしません。
私自身、1ヶ月にして投げ出しかかっていたのですから。
とにかく、取り組んでもらえるだけで感謝感謝なのです。
あれから早いものでもう3年が経ち
子供もすっかり大きくなりました。
もう可愛い獣ではありません。可愛い怪獣です。
毎日、振り回されていますが、
少なくとも、あの1ヶ月ほどは辛くありません。
少なくとも、ご飯は勝手に食べてくれますし、うんちも自分でできますし。
何より、言葉が通じますし。
あれは、本当にいい経験だったと思います。
2014年9月24日水曜日
回顧録「可愛い獣と1ヶ月」
息子ができました。
今年で3歳になります。
だいぶ大きくなりました。
忘れないうちに、生まれてすぐのことを少し書いておきます。
僕は、息子が生まれてすぐ、
会社から1ヶ月の育児休暇を頂きました。
滅多にない機会なので、
つきっきりで世話してみたかったのです。
ミルクをあげて
おしめをとりかえて。
寝かしつけて…。
毎日がその繰り返し。
どこにも行かず、何一つ自分のことはできず。
寝不足続きで、正直、気が狂うかと思いました。
赤ん坊というのは生まれて1ヶ月は
本能で動く「可愛い獣」です。
1時間おきに泣いて目が覚め、
その度に、おぶって、外をウロウロ。
泣き出すたびに、人目を避けて…
何度「もう嫌だ」と思ったことか。
それでも投げ出さずにいられたのは、
「1ヶ月辛抱すれば」というゴールがあったのと、
何より、彼が可愛かったからです。
手の小ささも、つぶらな瞳も、素っ頓狂な声も、
何もかもが可愛いく思えたからです。
1ヶ月間は、
可愛い→嫌だ→可愛い→嫌だ→可愛い…
その繰り返しでした。
「子供を育てるのって大変だな」
としみじみ実感しました。
何十億人という人間が
この「大変な手間」を経て、
一人前の人間に育っていったのか…
そう考えると、自分の両親はもちろんのこと
脈々と続く、人類の長い長い営みに
自然、頭が下がる思いになりました。
育児休暇の1ヶ月間を経て、僕がたどり着いたのは
「どんな人間も、愛されて生まれたんだ」
という想いです。
大嫌いな上司も、憎いあの担当者も、
みんなみんな愛されて育ったんだ、
そういう過去があったんだと。
だから何だというわけではないですが
息子が生まれてからは、少しだけ、寛容になれた気がします。
今年で3歳になります。
だいぶ大きくなりました。
忘れないうちに、生まれてすぐのことを少し書いておきます。
僕は、息子が生まれてすぐ、
会社から1ヶ月の育児休暇を頂きました。
滅多にない機会なので、
つきっきりで世話してみたかったのです。
ミルクをあげて
おしめをとりかえて。
寝かしつけて…。
毎日がその繰り返し。
どこにも行かず、何一つ自分のことはできず。
寝不足続きで、正直、気が狂うかと思いました。
赤ん坊というのは生まれて1ヶ月は
本能で動く「可愛い獣」です。
1時間おきに泣いて目が覚め、
その度に、おぶって、外をウロウロ。
泣き出すたびに、人目を避けて…
何度「もう嫌だ」と思ったことか。
それでも投げ出さずにいられたのは、
「1ヶ月辛抱すれば」というゴールがあったのと、
何より、彼が可愛かったからです。
手の小ささも、つぶらな瞳も、素っ頓狂な声も、
何もかもが可愛いく思えたからです。
1ヶ月間は、
可愛い→嫌だ→可愛い→嫌だ→可愛い…
その繰り返しでした。
「子供を育てるのって大変だな」
としみじみ実感しました。
何十億人という人間が
この「大変な手間」を経て、
一人前の人間に育っていったのか…
そう考えると、自分の両親はもちろんのこと
脈々と続く、人類の長い長い営みに
自然、頭が下がる思いになりました。
育児休暇の1ヶ月間を経て、僕がたどり着いたのは
「どんな人間も、愛されて生まれたんだ」
という想いです。
大嫌いな上司も、憎いあの担当者も、
みんなみんな愛されて育ったんだ、
そういう過去があったんだと。
だから何だというわけではないですが
息子が生まれてからは、少しだけ、寛容になれた気がします。
2014年9月22日月曜日
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