2014年10月31日金曜日

心を動かす言葉たち「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」より

たとえ空っぽの容器だったとしても、それでいいじゃないか。それなら君は、どこまでも美しい入れ物になればいいんだ。誰かが何かを入れたくなるような、しっかり好感の持てる容器に。(エリ)

2014年10月30日木曜日

CANより、WILL(できることより、したいこと)

子供が来年から幼稚園に上がるので
願書だ、志望動機だ、面接だって
ここんところ幼稚園のことにかかりきりです。

世の中には、色んな幼稚園があるんですね。

パンフレットを見ると、
・ひらがなができるようになる。
・数字が100まで言えるようになる。
・絶対音感が身に付く。
・逆上がりができるようになる。
・他者を思いやることができるようになるetc

色々言っていますが、基本的には
「うちにくると、こんなことができるようになります」
とアピールしています。

そういえば、以前、
「七田アカデミー」など
適時教育を見学したことがあるのですが
「こんなことができる」「あんなことができる」
「しかも普通よりも早く、高いレベルで」
なんてアピールしていました。

できることが増えるのはいいことです。
悪いことだとは言いません。
でも、なんか、違和感があるわけです。

昔のコピーに
「長生きできる国より、長生きしたい国」
というものがありました。

素晴らしいコピーです。
あれと一緒です。

いくら「できること」が増えても
それが幸せにつながっていないなら、
何の意味もないと思うのです。

たとえ「できること」は少なくても
「やりたいこと」が増えることの方が
ずっとずっと大事なのではないでしょうか。

「宇宙ってすげえな!」
「サッカー選手になりたい!」
「ご飯って美味しいよね~」みたいな。

でも、どうしたら、やりたいことって増えるんですかね。
よく分からないので、
とりあえず、のびのびいけよ、いけばわかるさ。
猪木みたいに楽観的になろうかなと。

パパが君にできることなんてね、
安全を守ることと、未来は楽しいって思ってもらえるように
できるだけ一生懸命生きる、そんぐらいだからね。

自分の人生は自分で何とかするんだよ!

2014年10月24日金曜日

心を動かす言葉たち「参謀」より

よく、投手コーチとして誰々を「育てた」と言う人がいるが、私の感覚では「潰さなかった」というの言い方の方がしっくりくる。(森繁和)

2014年10月23日木曜日

砂漠に雪を降らせる人達「GO羽鳥さん」


LINEなど、SNSの乗っ取りが騒がれています。
周囲でも「乗っ取られたー!」と
騒いでいる人を見かけた覚えありませんか?

普通に考えるなら、
嬉しいことでも何でもないのですが
この人は違うんですよね。

無視するとか、
警告するとかじゃなくて
喜々として「戦う」のです。乗っ取った相手と。ガチで。
電波少年をほうふつとさせるようなユニークな方法で。

http://rocketnews24.com/2014/09/18/488323/

何か腹立たしいことが起こった時、
・黙る、耐える
・怒る、怒鳴る
・泣く、悲しむ
・愚痴る
色んなリアクションが考えられますが、
私はやっぱり、「笑う」のが一番だと思います。
自分にとっても。周囲の人にとっても。

笑いに変えるには、
膨大な努力とアイデアが必要です。
バカげていれば、バカげているほど。
「偉いなあ」と純粋に尊敬してしまいます。

2014年10月22日水曜日

心を動かす言葉たち「世界から猫が消えたなら」より

人間が猫を飼っているわけじゃなくて、猫が人間のそばにいてくれてるだけなんだ。

2014年10月21日火曜日

好きな会社があります。

以前、仕事の関係で知った会社に
パラドックス・クリエイティブという会社があります。
(本日、社名を変更してパラドックスになったそうです)

広告制作会社というか
ブランディング会社というか
採用コンサル会社というか

一言では上手く言えないのですが…
志のある企業や人を「言葉」を通じて応援する
それでお金を得ている、そんな会社です。

一度だけ、そこのマネージャーと一緒に
仕事をさせてもらう機会があったのですが
すごくすごく、素敵な提案をしていました。

隣に座っていることや
同じ仕事をしていることや
同じ年であることが(同じ年だったのです)
恥ずかしくなるくらい。

広告の世界を去って
脚本でやっていこうと思ったのも、
その時の経験がきっかけです。
(だって、どうあがいても、同じフィールドだと勝てないんだもん)

もし、僕が広告を作らなければならなくなったら、
絶対にパラドックスにお願いすると思います。
とにかく、すごい会社です。

パラドックスはFACEBOOK上で
各分野の取材で拾ったイキな言葉を紹介する
「働く言葉」というシリーズを展開しています。

すごくいい言葉ばかりなので、
もしよかったらぜひ。

https://www.facebook.com/paradox.c.b?notif_t=page_name_change

2014年10月20日月曜日

シナリオセンターのこと

現在、週に1度、表参道にある
シナリオセンターに通っています。

シナリオセンターとは
おそらく日本で一番大きな脚本家養成学校だと思います。
というか、他にそんな学校、ないと思うので。

http://www.scenario.co.jp/

シナリオセンターでは生徒は
基礎科→研修科→作家集団
という順序でステップアップしていくのですが
私は現在「研修科」に在籍しています。

特定の課題に沿って、
20枚シナリオと呼ばれる10分ドラマを書き、
それをゼミ生の前で朗読し、感想を言い合う、
という内容です。

課題は様々で
「復讐」「死」「不安」もあれば
「裏切りの一瞬」「別れの一瞬」もあります。
「刑事」「教師」「医師」などもあります。

研修科がスタートして早1年。
これまで27本書いてきました。
30本書いたら、卒業なので、
実は、そろそろ研修科も卒業です。

スクールに入学した当初は、
「コンクールを受賞してとっとと辞める」
「彗星のようにデビューする」
と思っていたのですが…とんだ笑い種ですね。

ゼミの発表では受けるのですが、
コンクールは箸にも棒にもかかりません。

「コンクールは別物」と言いますが、
それとは関係なく「ズレ」ているのだと思います。

でも、コピーライターの頃から感じていましたが
カタにはめても、はまりきらない
「餃子の皮」「パンの耳」みたいな部分。
その「ズレ」が「自分らしさ」なんですよね。

「何でも書ける」
「ニーズに合わせられる」
それもプロとして重要なことですが
自分らしさを失わないのも重要。

「大切なのは、バランスだよなーバランス」

なんて呟きつつ、こうなったら、とことん、
スクールにご厄介になって、
地道に一歩一歩、階段を上っていこうと思っています。

2014年10月16日木曜日

心を動かす言葉たち「太陽の塔」より

「たくさんの羊たちの中に一人でぽつんと立っているやつがいる。そいつは自分が羊であることが分かっているし、じつは怖がりだから柵の外へ出ようとは思わないし、かといって自分が幸せだとも思っていない。ぱっと見るだけなら、そいつは他の羊とあまり変わらないように見えるだろう。でもよく観察してみると、そいつはひたすら黙々と、すごく凝った形のうんこをしているのだ。確かにそれはただのうんこだ。でもひどく凝ったうんこだ。とは言え、やっぱりただのうんこだ。そして、その羊が、俺だ。

(飾磨)

2014年10月15日水曜日

砂漠に雪を降らせる人達「富樫勇樹さん」

この10月、一人の日本人バスケットボール選手が渡米しました。
米国のプロバスケットボールリーグ「NBA」に挑戦するためです。

NBAは世界最高峰のリーグです。
最近では、様々な国籍が集う
多国籍リーグになりつつありますが、
黒人や白人に比べると、アジア系黄色人種はごく稀。

何十年という歴史がある中、
日本人のトッププレイヤーも数多く挑戦してきましたが、
日本人としてその舞台に立ったことがあるのは
「田臥勇太さん」一人のみ。2004年、奇しくも今から10年前のことでした。
http://buzzlive.info/basketball/tabuse/

今回渡米する富樫さんは
その田臥さんよりも身長が低い、167cm。
(田臥さんは173cm)

日本人男性としても低い人が、
平均身長2mとも言われるNBAにチャレンジするのです。

まさに、小さな巨人。

「バスケは身長じゃない」という言う声もありますが、
バスケではやっぱり身長は大事です。
同じ能力なら、身長が高い方が選ばれる。それが現実です。

だから、小さい選手がここまでやってるってだけでも、
すごいことだと思うのです。たとえ本人の本位ではなくとも。

最初は下部リーグからのスタートになると思いますが、
こうなったら、10年越しの夢の続きを期待したいですね。

2014年10月14日火曜日

砂漠に雪を降らせる人達「土岐山協子さん」

世の中には面白い人がいます。

これまでは、そういった方々は書物や伝記を通じて
「こんな人がいたんだな~」と偲ぶのが一般的でしたが、
ネットのおかげでリアルタイムで追いかけられるようになりました。

今回、ご紹介させて頂くのは、土岐山協子さん。
http://kasakoblog.exblog.jp/22422478

詳しい人となりはこのインタビューを見ればわかりますが、
とにかく、経歴からして変わってます。

教師→ホステス→農業

教師時代にすさんだ子供達を見て、
このままじゃ日本はダメになると思って
一念発起して上京するのですが
向かった先は、永田町。

「永田町のどこですか?」と聞き返すタクシー運転手に
「偉い人に会える場所」と言い返すくだりは、
最高にいかれていてステキです。

現在は、北海道で農業をしているそうですが、
http://profile.ameba.jp/toki718/
ブログもとても面白いです。

世の中は、広くて、果てしないですね。
こういう人の話は、ネット越しでも、勇気が出ます。

2014年10月9日木曜日

正解を選ぶのではなく、正解を増やすこと。

追い込まれた時って、
「右か左か」「赤か黒か」って、
選択肢が、せばめられがちですよね。

頭の中にあるのは
―どっちが正しいのか?
―どっちが誤りなのか?
そればっかり。

正しい方を選びたいから
一生懸命考えて、一生懸命情報集めて
でも、それって、つまらないし、危ないなーと思う訳です。

生きるか、死ぬかが問われている時に、
リンゴの木を育ててみるとか、
ピアノの練習をしてみるとか、
そういう選択肢があってもいいと思うのです。

右と左に道が分かれたとして、
座ってくつろいでみるとか
うんこしてみるとか、
そういう選択肢があってもいいと思うのです。

―それに何の意味がある?
―それで問題が解決するのか?
なんて色々言われると思いますが、
そもそも「正しい選択肢」なんて、あるんですかね。

「独立した→仕事がなくなった」
ここまでなら間違いかもしれませんが 
「(独立した→仕事がなくなった)→転職した→天職だった→やったー!」
これなら間違いとは言えなくなりますよね。

長い目で見たら、誰にも分からないと思うんですよね。
その時の決断・選択が正しいかどうかなんて。

だから『宇宙兄弟』では
―どっちが正しいのか?
って考えるより
―どっちが楽しいのか?
で選びなさいって言ってましたが、あれ、賛成です。

で、できれば
「二択じゃなくて、三択、四択、五択、六・・・・
 できるだけ選択肢を増やしなさい」
ってことを、更に付け加えたいです。

追い詰められると、
どうしても、「生きるか死ぬか」
「続けるべきか、やめるべきか」
「戦うべきか、戦わざるべきか」
極限の選択になりがちですが、
実際は、そんなことないはずです。

ほんの少し、心を自由にしてみたら、
必ず、どっかに、何か別の道があるはずなんです。

大切なのは「心を自由にすること」。
人は働くべきものだとか
学校に行かなくちゃいけないとか
お金がないと生きていけないとか
こうでなければならないって考え方を一遍、全部捨ててみる。

私は、人生の選択肢とは、概ね、
その人が許容する価値観の数だと思います。

2014年10月7日火曜日

「自分にしかできない仕事をしたい」のではなく、「自分にしかできない仕事にしたい」。

『何かを言うのであれば、
 今ここで自分が言わなければ、
 今後、誰も口にしないであろうことを言うべきだ』

武道家であり哲学者である
内田樹(たつき)さんが書いた
「街場のメディア論」の中に
そんな一説があります。

『つまり、今、自分が言っても言わなくても
 いずれ他の誰かが言うであろうことは
 口にする必要がないということだ』

おそらく内田さんとしては
“メディアというのは、
 それぐらい責任をもって発言してほしい”
という意味だと思うのですが、
私は、脚本についても同じように考えています。

今、この瞬間、
自分が発信しなければ、
今後、世の中から消えていってしまう、忘れ去られてしまう、
そういう物語や想い、無念さ、バカバカしさ、
そういうことを訴えていくものだと思うのです。

もちろん、そんな唯一無二のものなど、早々、世の中にないわけで、
だったら、ほとんどのメディアは何も言えなくなるし、
ほとんどの脚本家は筆をおかざるを得ないわけですが。

でも、少なくとも、
心構えは、そうあるべきじゃないでしょうか。

脚本を書いている間は
「誰でも書きそうだなセリフだな」
そんな疑念に駆られては、書き直す。
「どっかにありそうな展開だな」
そんな思いに囚われては、書き直す。繰り返しです。

以前、コピーを書いている時も同じでした。
「自分にしか書けないもの」を追い求めて、
ぶつぶつぶつ、うわ言のように言葉を紡いでいました。

努力すれば、いいものができるとは限りません。
でも、努力しなければ、いいものは絶対にできません。

最初から唯一無二のものなどどこにもなくて、
ただ、ひたすら磨き上げることで、
唯一無二になるのだと思います。

2014年10月6日月曜日

好きな脚本家

シナリオセンターに通い始めたばかりの頃、
先生に言われた言葉で、今でもよく思い返す言葉があります。
それは、
「いい脚本から、いいドラマができるとは限らない。
 でも、ダメな脚本から、いいドラマが生まれることはない」
ということ。

いい言葉ですね。
仕事に対する”誇り”と”覚悟”を感じます。

私は脚本家と言ったら、これまでは
三谷幸喜さん、宮藤官九郎さんぐらいしか知らなかったのですが
これを機に「面白いなあ」「面白かったなあ」と思うドラマを
よくよく見返して調べてみたら、案外同じ人が脚本をやってたりして。

ドラマって「期待して見たのにつまんなかった」
なんてことありますけど、もしかして
脚本家で選んだら、「外れ」ってないのかもしれませんね。

俳優・女優で選り好みしている方、
せっかくなので「脚本家」で選んでみてはいかがですか?
もちろん、人によって好みがあるので、一概には言えませんが。
今の私はこんな方々が好きです。

・坂元裕二さん…東京ラブストーりー、Mother、Woman、最高の離婚
・岡田惠和(よしかず)さん…最後から二番目の恋
・古沢良太さん…キサラギ、探偵はBARにいる、鈴木先生、リーガルハイ
・井上由美子さん…ギフト、14歳の母、パンドラ、昼顔
・橋部敦子さん…僕シリーズ(僕の生きる道、僕の歩く道、僕のいた時間)

10/19(火)22:00~NHK総合で岡田惠和さんが脚本を手掛けた
 『さよなら私』がスタートするそうです。楽しみです。

2014年10月2日木曜日

何かの間違いであってほしい。

アジア大会で、
日本の競泳代表の男性が
「報道陣のカメラを盗んだ」
という罪で騒がれてる事件があります。

本当なのでしょうか?

自分の限界に挑戦しようとしている
アスリートが、まさか大会の場で、
いかに魔が差したとはいえ、
窃盗を働くものなのでしょうか。

僕には到底信じられません。

訪れるかどうかも分からない、
栄光の一瞬のために何年、何十年という
途方もない努力を積み重ねる人間が
目の前の物を奪うことで、自分を満足させるなんて、
そんなことあるでしょうか。

何かの間違いではないのでしょうか?

回顧録「シナリオを書いて最初の1年」

初めて書いたシナリオは
結局、最終選考どまりで入賞できませんでしたが、
僕には大きな自信になりました。

過信と言ってもいいかもしれません。

「何も知らないで書いて最終選考なんだから、
ちょっと頑張ったら、すぐ入賞できるな。(ちょろいぜ)」

仕事そっちのけで
シナリオを書いてはコンクールに出しました。
そのうち、会社を辞めて、
本格的にスクールに通うことにしました。

「こちとら最終選考だぜ」

もちろん、真面目に授業なんか受けません。
覚えるべきことだけ覚えた後は、
授業そっちのけでこコンクール向けのシナリオを書き続けていました。


なんて鼻持ちならないヤツ!

くだらない自意識に振り回されて、
周囲とディスコミュニケーションに陥る。
これは僕の人生全般に当てはまることです。
そして、その都度、痛い目に合っています。

今回も同じようなことが起こりました。

「すぐにデビューできるだろ」

安易に考える僕をあざ笑うように、
出せども出せども、結果が出ません。
最終選考どころか、一次選考さえ通らない始末。

「あれ……なんか思ってたのと違う」

そこで初めて、スクールの授業をちゃんと聞いて、
クラスメイトが書いたものを目に通すようになりました。
毎度のことですが、つまらないエゴのせいで、いつも遠回りしています(汗)。

…自分に何が足りないのか…どこがダメなのか
客観的な視点を求めて、
自分が書いたシナリオを
他の人に見せるようになったのもこの頃です。
既に学校に入って、もう1年が過ぎようとしていました。