2014年10月9日木曜日

正解を選ぶのではなく、正解を増やすこと。

追い込まれた時って、
「右か左か」「赤か黒か」って、
選択肢が、せばめられがちですよね。

頭の中にあるのは
―どっちが正しいのか?
―どっちが誤りなのか?
そればっかり。

正しい方を選びたいから
一生懸命考えて、一生懸命情報集めて
でも、それって、つまらないし、危ないなーと思う訳です。

生きるか、死ぬかが問われている時に、
リンゴの木を育ててみるとか、
ピアノの練習をしてみるとか、
そういう選択肢があってもいいと思うのです。

右と左に道が分かれたとして、
座ってくつろいでみるとか
うんこしてみるとか、
そういう選択肢があってもいいと思うのです。

―それに何の意味がある?
―それで問題が解決するのか?
なんて色々言われると思いますが、
そもそも「正しい選択肢」なんて、あるんですかね。

「独立した→仕事がなくなった」
ここまでなら間違いかもしれませんが 
「(独立した→仕事がなくなった)→転職した→天職だった→やったー!」
これなら間違いとは言えなくなりますよね。

長い目で見たら、誰にも分からないと思うんですよね。
その時の決断・選択が正しいかどうかなんて。

だから『宇宙兄弟』では
―どっちが正しいのか?
って考えるより
―どっちが楽しいのか?
で選びなさいって言ってましたが、あれ、賛成です。

で、できれば
「二択じゃなくて、三択、四択、五択、六・・・・
 できるだけ選択肢を増やしなさい」
ってことを、更に付け加えたいです。

追い詰められると、
どうしても、「生きるか死ぬか」
「続けるべきか、やめるべきか」
「戦うべきか、戦わざるべきか」
極限の選択になりがちですが、
実際は、そんなことないはずです。

ほんの少し、心を自由にしてみたら、
必ず、どっかに、何か別の道があるはずなんです。

大切なのは「心を自由にすること」。
人は働くべきものだとか
学校に行かなくちゃいけないとか
お金がないと生きていけないとか
こうでなければならないって考え方を一遍、全部捨ててみる。

私は、人生の選択肢とは、概ね、
その人が許容する価値観の数だと思います。

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