2015年1月30日金曜日

映画目録「ラリー・フリント」

<あらすじ>
ストリップのショーパブのオーナーを務めるラリー・フリント。店の会報誌としてヌード写真集「ハスラー」を作ったところ、大うけ。あれよあれよという間に億万長者になるが、ある日、猥褻容疑で逮捕されてしまい、全米から反社会的のレッテルを貼られる。挙句に何者かに撃たれて下半身不随になってしまう。しかし、反省・後悔することもなく、ますます攻撃的になるフリント。ついに弁護士からも見捨てられてしまい、最愛の妻もエイズになってしまう。
※実在のポルノ王と呼ばれる「ラリー・フリント」の半生を描いたそうです。
<多分ここが面白いところ>
・2時間の間にフリントの立場が、貧乏→大富豪→犯罪者→世の中のはみだしもの→表現の自由のシンボル→半身不随というように、ジェットコースターのように変化していきます。でも、当のフリントは何も変わっていないところが面白いです。基本的には一貫して「野蛮」です。主義も主張もへったくれもないんですね。陰部の撮影についても「撮ったらダメ」って言われたから撮ってやる、みたいな。基本的に「ダメ」と言われると、猛烈にやりたがるんです。著名な聖職者をパロってマザーファッカー呼ばわりしたり、裁判所に星条旗でできたオムツを履いて出廷したり、法廷で保釈金をぶちまけたり。「アマデウス」のモーツァルトしかり、「カッコーの巣の上で」のマクマーフィ―しかり、ミロス・フォアマンという監督は、こういう人が好きなんでしょうね。私も大好きです。
・そんなフリントの、唯一の泣き所が妻の「アリシア」です。フリント以上に自由で奔放。フリントが他の女と寝るように、アリシアも他の男と寝ちゃうんです。ついには薬物中毒、さらにエイズになって、社会的に孤立してしまうのですが、フリントはそれでも彼女を守るんです。大豪邸の一番厳重な部屋に、一緒に引きこもるわけです。そして壊れていくアリシアを少しでも楽しませようと、無茶くちゃやるんですね。私は「ラリー・フリント」という作品について、観る前は「自由への戦いのドラマだろう」と思っていましたが、観終わった今は、「自由への戦いを挑んだフリントとアリシアの純愛ドラマ」と思っています。
<印象的なシーン>
アリシアが死ぬシーンですね。フリントが本心で取り乱すのは、あそこぐらいじゃないでしょうか。水中を漂うアリシアも、美しく撮られていました。

2015年1月28日水曜日

映画目録「マイ・プライベート・アイダホ」

<あらすじ>
幼い頃に母親と生き別れた辛い過去を持つ少年 (リバー・フェニックス)。ナルコレプシーという奇病(突然眠りに誘われる病)を抱えながら、NYのブロンクスで体を売って、その日暮らしをしている。一方、金持ちの息子で、父親への反発心から、あえて男娼に身を落としている青年(キアヌ・リーブス)。二人はある日、勢い半分、ブロンクスを飛び出し、アイダホ、ロンドンへと、少年の母親を探す旅に出る。様々な経緯を経て、友情を育む二人だが、結局、母親は見つからない。ブロンクスに戻った二人は別々の道を歩き出す。

<多分ここが面白いところ>
・リバーフェニックスとキアヌリーブスが美しいです。二人でバイクに乗って疾走しているところなんか、もう、少女漫画やBLも真っ青の、ありえないくらいの美しさです。リバーフェニックスが年をとらずして急逝したことを差し引いても、刹那的な輝きがします。ディカプリオもバスケットボールダイアリーの頃、こんな感じでしたが、リバーフェニックスは、もっともっと繊細な感じがします。私見ですが、若い頃の武田真治もこんな感じでしたね。
・リバーフェニックスとキアヌリーブス、二人の対比が面白いです。一方は、やむにやまれず体を売っているのに、もう一方は、人生に必要な経験を得るための「手段」と割り切って体を売っている。一方は、親子の情愛に飢えているのに、もう一方は、不要なものだと切り捨てる。一方は人生を点でとらえ、もう一方は人生を線でとらえる。どっちも自分勝手なのですが、明確な基準点があるとすれば、「愛」に対するスタンスというところでしょうか。愛を信じている少年と、信じていない青年、みたいな。
・二人の結末も大きく異なります。善悪関係なしに、どちらも悲惨な末路です(キアヌが悲惨だということに気付いたのは僕が年をとったからなのかもしれません)。なので、教訓みたいなものは特に導けません。この作品は、価値観の大きく異なる二人の間にも、一瞬、刹那的にであるにしろ「友情(大きな意味で愛)」が成立した、という部分なのかなと思います。決してハッピーエンドではないのですが、余韻は悪くありませんでした。

<印象的なシーン>
最後ですね。よく分からない最後で、判断は観客に任せたのかなと。Webで調べたところ、ラストはお兄さんが助けたということになっているようです(未公開映像が出回っているとか)。私には分かりませんでした。またさらわれてひどい目にあわされるんだろうなと思ってしまいました。

2015年1月23日金曜日

NHKドラマ「徒歩7分」が面白い(火曜午後11:15~11:45)

主人公は、32歳女性・依子(田中麗奈)。
仕事もない。彼氏もない。テレビもない。
基本、部屋の中でダラダラしている。
たまにやってくる妹にどうでもいい不満をぶつけ
たまに下の弁当屋に行って店員のくだらない話に付き合って
たまにずいぶん前に別れた彼氏の家をストーキングして。

かなり痛い女。

おそらく、引きこもりの主人公が
徐々に社会性を獲得する(関わりを広げる)、
その過程を描くドラマだと思うのですが、
今までのところ「今季最高」に面白いです。

特徴としては
・会話主体(まったく噛みあっていない・展開と無縁の意味のない話ばかり)
・テンポが遅い(撮影はアパートの徒歩7分圏内・基本長回し)
・ドラマチックなことが何も起こらない

でも、面白い。

何でだろ?
自分なりに考えてみました。

・噛みあわない会話・意味のない話が、コミュニケーション不全の現代社会っぽくて、逆にリアル
・テンポが遅いせいで、なんか、見入ってしまう。イライラするんだけど、なんか、気になっちゃう。
・ドラマ性がなさすぎて、この先どうなるのか、展開が全く読めない。
という感じでしょうか。

基本的に今のドラマは
・できるだけ伏線を貼りまくる
・カットを細かく割ってテンポをあげる
・冒頭から、これでもか、これでもかとドラマチックにする
なので『徒歩7分』はその真逆を行ってることになります。

どっちがいいとか悪いとか、そういうことではなく、
逆を行ってる分だけ、やっぱり見入ってしまうのかもしれません。

とりあえず3話で、
ようやく主人公に「一人は嫌だよ」
と本音を言わせることに成功しました。
この先、どうやって立ち直せるんでしょうか。
過程がものすごく気になります。

脚本は前田司郎さん(五反田団主宰)。
今まで知りませんでしたが、
芥川賞候補にもなった著名な方なのですね。
これは読まねば。うわ、同い年だ。

2015年1月20日火曜日

映画目録「小説家を見つけたら」

<あらすじ>
NYのブロンクスで暮らす16歳の黒人少年。独学で小説を書くなど、実は学業の面で類まれな才能を持つが、エリートを嫌う友達の手前、ひた隠しに生きている。ある時、学力テストの結果を知った名門校から誘いを受ける。バスケと学業の両立を臨む少年は、悩んだ末、名門校へ移る。同時期に、ひょんなことから知り合った引きこもりの老人が、有名な文豪であることを知る。文章の書き方について教えを請う少年だが、老人から学び書いた文章が学校で「盗作」という疑いをかけられる。
<多分ここが面白いところ>
・会話で相手をやっつけることをトラッシュトークと言いますが、少年、老人ともに会話がいい。BMWを自慢する男に対して、少年が「BMWは、戦前は車ではなく航空機を作っていたんだ。エンブレムは青い空に回るプロペラ。自由の証。もちろん、それを知ってて買ったんだろ?」と言うシーンとか。
・バスケットボールのシーンですね。ガスヴァンサントが、バスケットボールをとったらこうなるんだ、という感じがして面白かったです。基本的にヨリなんですね。ほとんど俯瞰では撮らない。
・同様の仕事に就いている身として、老人のセリフが個人的に印象に残りました。「自分のために書いたものの方が、他人に見せるために書いたものより優る」「文章を書いている時の至福の一時を知っているか? 出来上がった文章の第1稿を見るときだ。批評家たちが、自分では一生なしえないようなことに対して、メッタ切りにする前にな」
<印象的なシーン>
老人が、真夜中の町を自転車で自由に走るシーン。手を軽くあげて、道路を走るシーンが「引きこもりからの卒業」を上手く言い表していました。「盗んだバイクで走り出す」と言う有名な歌詞がありますが、二輪車は「自由の象徴」というイメージがあるのかもしれません。ちなみに、このシーンは、おそらく「サニー(松本大洋)」という漫画のあるシーンの参考にも使われていると思います。気になった方はぜひ。

2015年1月16日金曜日

心を動かす言葉たち「内田樹さんの本」より

その人を見る時、学歴や職歴や業績よりも、大切な判断基準がある。それは「一緒に革命できるか」ということだ。

2015年1月15日木曜日

映画目録「永遠の僕たち」

<あらすじ>
両親を自動車事故で一瞬にして失った少年。両親の死を上手く受け入れられず、無気力な毎日を送る。挙句に、他人の葬式に遺族の振りをしてもぐりこむ始末。ある時、脳腫瘍のため余命いくばくかの少女と知り合う。「死」という共通因子によって、徐々に惹かれあい、つかの間のデートを楽しむ二人。そんな少年を心配そうに見守る特攻隊員の幽霊。二人は「生きる喜び」を知ることで、逆に、それを失う事、別れ、「死」と向き合わざるを得なくなる。

<多分ここが面白いところ>
・大まかにくくれば、「命(生死)を軽んじている少年・少女が、互いへの愛(思いやり)によって、畏敬の念を取り戻していく」という話なのだが、その「軽んじてる」感じが、たとえば、「葬儀ごっこ」「お辞儀の振り」「切腹の真似事」「死体置き場でデート」「ハロウィンはゾンビでコスプレ」「死んだふり(演技)」など、細かい描写でよく描かれている。
・一番感じ入ったのは、やっぱり最初と最後の違い。冒頭の葬儀場のシーンでは、少年は黒い喪服をまとって悲しむ振りをしているけれど、悼む心がちっともない(カタチだけで内面が伴わない)。それに対して、ラストシーンでは、服はカジュアルで、しかも笑顔だけど、心から少女の死を悼んでいる(カタチよりも内面の充実)。起承転結の「起」「結」が見事に結ばれている。すごい。
・加瀬亮さんが演じる特攻隊員の幽霊が、抜群に存在感があります。お辞儀を説いたり、原爆をからかわれて凹んだり、死を虚無だという少年を殴り飛ばしたり…。幽霊の癖に、妙に普通っぽい。最後の遺書の独白は、おそらく、本物の遺書をベースにしているのだと思います。『私はバンザイではなく、君の名を叫んで死んでいく』。すごく感動しました。

<印象的なシーン>
やはり、遺書の独白のシーンではないでしょうか。独白の内容もさることながら、二人がデートした思い出の場所、葬儀場、公園などがフラッシュバックして、しかも、雪に埋もれていくわけです。挙句、道路に横たって二人で描いた「死体発見」のチョークも風で舞い散る。これがガスヴァンサントの思い描く「死」なんですね。少年が恐怖するような虚無ではない。でも、ゆっくり、じっくりと風化していく。いい意味でも悪い意味でも。だからこそ、少女との思い出を振り返り笑って偲ぶラストシーンが、切なく、そして温かく感じられました。

2015年1月9日金曜日

フライパンで頭を叩かれるような気づき「新・戦争論」より

1万円札を作るのに必要な原価は22円。1万円札が1万円の価値を持つのは、みんなが「この紙切れには1万円の価値がある」と信じているからに他ならない。

コンクール初受賞

あけましておめでとうございます。

私事ですが(そもそもブログなんて私事しかありませんが)
先日、「シナリオS1グランプリ」というコンクールで
準グランプリを獲得しました。

http://scenario.co.jp/?p=8679

「One Wor(l)d」というタイトルの
求人広告の制作を舞台にしたドラマです(1時間もの)。

映像化の予定はありませんが、
月刊シナリオ2015年1月号という雑誌に、
シナリオが全文掲載されています。
※インタビューつき

コピーライター時代にも
作った広告を何度か取り上げられたことがあるのですが、
あの時は、クライアントありきでモノを作る、という立場でした。

その点、今回は、クライアントがいないので、
「ここはクライアントがこうしろと言った」
という言い訳がききません。
全て、自分がいいと思ったものです。
その分、かなり恥ずかしく、また恐ろしいものがあります。

「こいつ、こんなこと考えてんだ」
「こういう見方していたんだな」みたいな。
しかも、以前関わった業界・仕事のことを取り上げているだけに…。

まあ、しょうがありませんよね。
シナリオライターというのは、
自分の内面をさらけだしていくのが仕事ですし。

今後とも、誤解や偏見を恐れず、
ガシガシ書いていきます。

できることなら、この本を見て、
「おー、おもろい新人が出てきたな。
いっちょ。仕事をお願いしちゃおうかな」
という方がいらっしゃいますように。