2015年2月25日水曜日

NHKドラマ「徒歩7分」全8話を見終えて

「徒歩7分」が最終回を迎えました。

面白い面白いと連呼してきましたが、
ここで、もう一度、このドラマがどんなドラマだったのか、
見直してみたいと思います。

◆テーマ

以前このドラマは
「引きこもりの主人公が
徐々に社会性を獲得する(関わりを広げる)、
その過程を描くドラマ」と指摘したのですが、少し違ったようです。
正しくは
「将来を絶望した主人公が
 希望を見出すまでを描いたドラマ」
だったようです。

◆最終的なドラマ(変化)

<依存から自立へ>
名前の通り、実家の両親や彼氏、妹に依存しまくっていた依子ですが
最終的には、実家を出て、妹と離れ、挙句、復縁を迫る元彼を袖にします。
おまけに「漫画家を目指す」という訳のわからない夢まで持ってしまいます。

<絶望から希望へ>
周囲の人と上手くコミュニケーションが取れなかった依子ですが
隣人の咲江との別れのシーンでは、涙を流します。
そして、何かの理由で飛び出してきた実家に対しても(理由やはり明かされなかった)
最後には父親に電話して「正月は家に帰るよ」と宣言します。

◆最終的な感想

ラストは少々、物足りなかった感じはします。

・なぜ、漫画家?
・田中との関係性はどうなった?
・どうして途中でフランス人が出てきたの?

相変わらず、疑問符だらけです。、
すべてを回収する必要はないのですが…

安定しているけど、
これまでのどうしようもない自分と地続きの
誰かに依存した未来よりも、
不安定でもいいから、
これまでとかけはなれたスペシャルな未来を
自分の手でつかみとるべき。

というメッセージ性は十分伝わったのですが
そのモチーフが「漫画家」というのは…うーん。
他に、もっともっとぶっ飛んでいてもよかったような・・・。
もしくは、漫画家でいくなら、もうちょっと伏線がほしかったかなあ。

とはいえ、
前半が面白すぎて「最後はどうなるんだろう?」
と期待値が上がりすぎていたせいもあります。

これだけでも十分に面白かったし、
「今季最高」という評価も変わりありません。
何より「他にはない作品」でした。

脚本の前田さんもさることながら、
この雰囲気をしっかり再現した
演出の方もすごい優秀だなと思います。
とても勉強になりました。

2015年2月23日月曜日

映画目録「俺たちに明日はない」

<あらすじ>
刑務所帰りの男(ボニー)と、平凡な田舎暮らしに飽き飽きした女(クライド)。未来のない閉塞的な日常を打破するために、銀行強盗を企てる。そこにガソリンスタンド店員と、ボニーの兄夫婦が加わり、いつしか一味は「バロウズ・ギャング」と呼ばれるように。時は、大恐慌時代。資本家の手先である銀行や警察に徹底的に牙をむくバロウズ・ギャングは、土地や仕事を追われた一部の民衆からはヒーロー扱いされるが、警察からは目の敵にされ、徐々に追い詰められていく。
※ボニー&クライドは、実在した銀行強盗犯をモチーフにしているそうです。
<多分ここが面白いところ>
・ボニーとクライドの関係性。ボニーはタフでマッチョですが、性的に自信がありません(肝心な時にたたないEDみたいなものかな)。反対に、ボニーは性的関係を結ぶことに慣れています。当初、ボニーはそんなクライドに嫌悪感すら抱いていますが、犯罪を繰り返す中で、徐々に心と体を許していくようになります。それが、細かくリアルに描写されています。単なる犯罪映画ではなく、どこか「純愛映画」の様相を見せるのは、そのためだと思います。
・説明台詞に頼らず、心情や境遇をよく言い表しています。たとえば、冒頭、部屋の中で、素っ裸でウロウロして、ベッドの格子を掴んで歯ぎしりするクライド。これは「抑圧された暮らしに飽き飽きしている」のがよく分かります。ボニーについても同様です。「クライドに興味はあるけれど、性的に自信がないのでセックスできない」という難しい状況を、言葉を使わずに、演技だけで表現しています。
・ボニー&クライドは、自分のためだけに銀行強盗と人殺しを繰り返す、どうしようもない人間達です。本来なら共感性が見いだせないですが、なぜか、それほど憎めません。これは本人達のキャラクターもさることながら、背景にある「大恐慌」という時代性を上手く描いているからだと思います。たとえば、この時代は、多くの農民が、借金のカタに銀行に土地を取り上げられ、生活の糧とプライドを奪われており、「怒り」と「無力感」にさいなまれています。ボニー&クライドには「抑圧する社会体制と闘う」という位置づけがあるため、見ている側も、それほど憎めないのだと思います。現題「ボニー&クライド」を、邦題「俺たちに明日はない」と名付けた人はすごいですね。
<印象的なシーン>
ラストです。撃ち殺される寸前、「やばい」というのを察したボニーが、クライドを案じるように見ると、クライドもボニーを見返すんです。そして、見つめ合う。時間にしてほんの1秒足らずですが、これが愛し合う二人の最期って感じで、すごくいいです。回想だのカットバックだのに頼らずとも、これだけで、関係性を上手く表現できるんですね。勉強になるというか、「映画ってすげえな」と改めて思いました。



2015年2月20日金曜日

前田司郎さん『ジ・エクストリーム・スキヤキ』を読む

NHKドラマ「徒歩7分」で魅せられ、
すっかりはまってしまった前田司郎さん。

立ち寄った本屋で最新作の小説
『ジ・エクストリーム・スキヤキ』を見つけたので
先日、ハワイに出かける際に
飛行機で暇だろうからと購入しました。

簡単なあらすじを説明するとい
「男女4人がスキヤキする」という話です。

それだけ?
それだけです。
思うんですが、前田さんの作品はいつも「それだけ」です。
それだけなのに、面白いんです。
だから、すごいんです。

<簡単な流れ>
会社を辞めた無職の男が
大学時代の友人を10何年か振りに訪ねる。
ちなみにそいつは、未だにフリーター。
偶然目にした店頭の「スキヤキ専用鍋」に魅せられた男は
よく分かんないけど「みんなでスキヤキやろう」と言い出す。
で、2人だけじゃあれなんで、ということで
大学時代の元恋人に声をかけ、
更にその後輩の小悪魔的女子が加わる。
ぼろい車に乗った4人は、あてもなくドライブする。

読み進めていくと、
「大学時代の共通の友人が死んで
 それをきっかけに疎遠になった」
ということが分かってくるのですが、
例によって、そいつが何で死んだかは明かされません。
死ぬまでに複雑な人間関係があった(誰と誰が好き同士で、誰と誰が付き合ってたとか)
ようなのですが、それも明らかにはされません。

それだけじゃありません。
・主人公が、何で会社辞めたのか
・その友人が、何でフリーターを続けてるのか
・女が、何で10年ぶりの元彼の誘いにのってきたのか
・小悪魔女子が、何で見知らぬ無職とフリーターの、さえない男達とのドライブにのってきたのか
なーんにも明らかにされません。

みんな孤独で、腹の底に何か抱えてるんですが、
それが何なのか明かされません。
前田さん。相変わらずです。
私達の前に提示されるのは「孤独の上澄み」だけです。

そんな4人が、ラストシーンでね。
ぼろい旅館の一室で、スキヤキをするんです。
こそこそ、隠れて。
「おー」なんて感じで。ちょっと盛り上がったりして。
それが微笑ましくて、また、切ないのです。
そこには、昔、親しかった友人と久しぶりに再会した時の
あの「空気感」が、ものすごくリアルに再現されています。

距離感があるところとか
それに気づかないような振りをするところとか
わざとらしく振る舞って、その距離を埋めようとするところとか
でも、埋まらない、というか、詰め切れないところとか。

「ほんっとうまいよなー」
ハワイのホテルの、無駄にふかふかなベッドの上で、うなってしまいました。

ちなみに、これ、もう映画化されているそうです。
しかも、主演の二人が、井浦新と窪塚洋介。
https://www.youtube.com/watch?v=O9_3Ju3Ded4

…すごいですよね。誰がこのキャスティングしたんでしょうか。
いや、だって、この二人って「ピンポン」の二人ですよ。
スマイルとペコですよ。11年ぶりの共演なんですよ。
それが、10何年振りに再会する友人役?

前田さん、すごい。
ますます尊敬します。
早速DVD頼んじゃいました。
できれば、映画館で観たかった―。

2015年2月19日木曜日

ハワイでも死ねる自信がある。

2/11~2/16までハワイに出かけてきました。

幼い子供と一緒だったこともあり、
特に観光するでもなく、何をするでもなく
街をぶらぶらして、ビーチで遊んで、
贅沢な時間の使い方をしてきました。

基本的に、英語がしゃべれないので
しゃべれる人におんぶにだっこなのですが
四六時中、一緒というわけにもいきません。

なわけで、つたない英語をつかって
ご飯を食べたり、買い物したり、
バスにのったり、散歩したり。

もちろん、不便もあります。
会計を分けてほしいってなんて言うんだ、とか。
ATMからお金を下ろすのどうやるんだろう、とか。
サンダルがNGのレストランは、スニーカーもダメなの、とか。
チップっていくら、どうやってあげればいいんだ、とか。

…つくづく「無力だなあ」と思いました。
クレジットカードとパスポートがなかったら、
俺このまま死ぬかも、と思いました。

英語がしゃべれないから、というのもありますけど、
それ以前に、根本的に、無力なんですね。
コミュニケーションが下手すぎて。
日本にいると、コミュニケーションって全然必要ないですから。
退化してるなあと実感しました。

3歳の息子は、そんな父親を後目に
「アロハ~!」「グッジョーブ!」
覚えたての英語を駆使しはじめます。…子供ってすごい。

よく海外旅行はいいよ、なんて聞きますが、
それまでは、私には何がいいんだかよく分かりませんでした。
でも、もしかしたら、そうやって
「自分は無力なんだ」と感じることが大事なのかもしれません。

「自分の思いを伝えるのはとても難しいことだ。
 でも、それを怠ると死んでしまうから、頑張るしかない」

その真理はモノを書く上でもとても大切な心構えの一つだと思います。
でも、やっぱり英語ぐらいしゃべれた方がいいな、とも思ったけど。
・・・勉強しようかなあ。

2015年2月10日火曜日

前田司郎さん『生きてるものはいないのか』を読む

作は前田司郎さん。
NHKドラマ「徒歩7分」の演出・脚本を手がけている方です。
「こんなすごいのを作る人が今まで無名だったはずがない」
と思い調べてみたとこら、やっぱり有名でした。

いくつか作品があったのですが、
その中でひときわ目をひいたのが
「生きてるものはいないのか」です。

これは戯曲で、前田さん自身の演出で舞台化もされており、
2007年に演劇界の芥川賞と呼ばれる
「岸田國士戯曲賞」を受賞しています。

あらすじだけ言うと、
「どんどん人が死んでいく」という話です。

そんだけ?という感じもしますが、
そんだけです。
ホラーでもなければ、サスペンスでもありません。
しいて言うなら、不条理劇です。でも、どこかコミカルです。

二股で女に責められている男、
赤ちゃんを下ろすか産むか悩んでいる女、
刑務所帰りに義理の妹に会いに来た男、
結婚式の披露宴の出し物に悩んでいる学生、
大学に通う現役のアイドル、同性愛者の男etc

劇には20名近くの色んな人が出てきます。
みんな、それぞれに思い悩んでいます。
大体はくだらないことですが、その人なりに、悩んでいます。
でも、何の前触れもなく、いきなりのたうち回って死にます。

死ぬ理由は「ウイルス」というだけで、詳しい説明はほぼありません。
普通のドラマなら、ここで「原因究明」→「解決」となるのですが、この劇は違います。
※「根っこ」を見せないというのは、前田さんの作品に共通しているのかもしれません

何だかよく分からない間に、ばたばた死んでいきます。
カッコよくもないし、華々しくもありません。
どちらかというと、みっともなく死んでいきます。

面白いなあと思ったのは、
「死んだ人が舞台に転がったまま」ということ
これ、よく考えてみたら、斬新ですよね。
実際には死んでないけど、死んでる体で、ずっと横たわるんですよ。
映画じゃなくて、演劇だからこその面白さだと思います。

もし、ライブの劇で見てたら…
僕なんかへそ曲がりだろうから、
「こいつ動かないかなあ」なんて死体役の人をじろじろ見てたかも。

結局、何が言いたかったのか、
劇中では明かされませんでした。
でも、とにかく面白かったです。

僕が思ったのは
・訳が分からず生きている人は、訳が分からないまま死んでいく。
・ほとんどの人間は、死んだように生きている。
・生きるということは、日々、死に向かっているということだ。
みたいなところでしょうか。

何より、タイトルがいいですよね。
『生きてるものはいないのか』
渋谷の雑踏で叫んだだけで、現代社会に波紋を呼びそうです。

2015年2月6日金曜日

濁点の有無

アボガド→アボカド
ヤンキース→ヤンキーズ
いばらぎ→いばらき

だそうです。気を付けます。

2015年2月5日木曜日

何度もいいますが、NHKドラマ「徒歩7分」が面白い(火曜午後11:15~11:45)

以前にも一度取り上げましたが、
NHKのドラマ「徒歩7分」がものすごい面白いです。

全8回で、先日までに5回まで放送されましたが
「なぜ面白いのか」
改めて、もう一度考えてみました。


◆バックボーンが一切提示されない

依子は引きこもりのストーカーです。
・なぜ、引きこもりになっているのか。
・なぜ、ストーカーになっているのか。
普通なら、「バックボーン(動機・理由)」に焦点が当てられ、
ドラマが進むにつれて、それが明らかになるはずなのですが
一向に明らかになる気配がありません。

依子に限らず、他の登場人物もみなそうです。
お節介な隣人も、依子を間違ってストーカーしていた男も
口の悪い妹も、コミュニケーション過多な階下の弁当屋も、
「なぜ、そういう人生を送っているのか」
バックボーンが一切提示されません。

シナリオとしてはかなり異質です。
シナリオはドラマを描くもので、そこには必ず、
人生を左右する決定的転換点(ターニングポイント)
というものが求められます。
分かりやすく言うなら、
「このキャラは、こうだから、こうなった」
「こうなったから、こうなる」
と見ている人に納得感をもってもらう必要があるわけです。

でも、考えてみれば、
実際の人生って、そういうわけにはいきませんよね。
誰もが自分のターニングポイントを知っているわけではないし、
何となく生きてきて、気づいていたら、こんな風になっている、みたいな。
それが現実です。

今、あなたの目の前に依子のような人がいたとして
「あなたはどうしてそうなったの」と聞いても、
たぶん、あいまいな答えを返してくるだけだと思います。
そもそも、あなただって、そこまで突っ込んだことを聞けませんよね。
他のドラマは、ドラマだから、どんどん突っ込んで聞いてますけど、
本来、トラウマなんて、怖くて聞けないはずなんです。

だから、ある意味、徒歩7分は
とても現実的なドラマだと言えます。
見ている側は
「どうして、この人はこうなったのか」
考えをめぐらせるしかありません。

だからこそ、もどかしくて、
だからこそ、リアリティがあるのだと思います。



次の放送日は2/10(火)。
「なぜ、こんなに面白いのか」
理由はきっとまだあるはずです。
まだまだ、考えてみたいと思います。

2015年2月2日月曜日

「!」しない生活

携帯のメールしかり、
PCのメールやメッセージ全般に言えることですが、
「!」を使いすぎている気がしませんか?

というのも、↓を見ていて気づいたんです。
http://www.welluneednt.com/

これは村上春樹さんが読者からの質問・相談にお応えする
「村上さんのところ」というスペシャル企画です。
※1/31で申込みは終了しました。

毎日10~20位の質問に
村上さんがごく簡単に、でも丁寧に、
お返事をしたためているのですが、
その文章を見ていて、気づいたんです。

「!」がないってことに。

私は仕事柄、メールでやりとりする場合が多いのですが、
メールに必ず「!」を入れています。意図的に。時に無意識に。

「!」に意味なんてないじゃんとお思いかもしれないですが
「ありがとうございます。」
「ありがとうございます!」
字面だけ見ると、やっぱり印象値が違うんです。
後者の方が本当に感謝しているように見えるんですね(見えるだけなんですけど)。

多分、私自身、受け取り手としてそう思っているから
書き手としても「!」を乱発してしまうんでしょうが
村上さんのメールを見ていたら、
「!」な気分でもないのに「!」を使っている自分に
我ながら節操がないなあと。
時には、使いたくもないのに使ってる時もあるわけで。

何ででしょうね~。
別にいいじゃんそれぐらいって気もしますが。
そこまでして、気に入られたいんですかね。

実生活では、「!」することなんて、ほとんどないんですがね。
息子と一緒にいるときは、「!」ばっかりですけど。