<あらすじ>
江戸両国にある見世物小屋に集まった訳ありの男達。勤王だ倒幕だ、徳川だ薩長だ、騒がしい世相に乗じ、盗み・たかりを繰り返す。しかし次第に、時代の流れに翻弄され、狂わされ、一人、また一人と身持ちを崩していく。鎖国から開国へ、江戸から明治へ。時代の変わり目にあって、日々強く生きぬく庶民達の姿を、たくましく描いている。
<多分ここが面白いところ>
・江戸末期と言えば、時代劇の花形。そのほとんどは「日本をどぎゃんかせんといかん」みたいな大所高所から語られることが多いのですが、そういうのとは明らかに異なる作品です。時代の流れとは全く無縁だけど、その日その日を一生懸命生きた人間達がいた。「実は名もなき庶民こそが、新しい日本を切り開いていったんじゃないか」という視点は、素晴らしいと思いました。
・1979年撮影というだけあって、泉谷しげる、桃井かおり、緒方拳、露口茂、草刈正雄、倍賞美津子、日野正平、田中裕子、みんな若いです。今ではみなさん大御所ですが、こんな初々しい頃があったんだなって、桃井かおりってほんと可愛いんだなって、なんか感動的でした。
<印象的なシーン>
江戸庶民達が怒りを爆発させ、江戸市中を踊り歩き、しまいにはお堀(皇居)に迫るラストシーンです。ここは「権力vs反権力」「秩序vs混沌」「管理vs自由など」劇中にうずまいていた様々な価値観の対立が浮き彫りになる、最大の見せ場です。総勢2000名ものエキストラが「ええじゃないか、ええじゃないか」と踊り狂うのは、ド迫力の映像です。難しいことを考えなくても、これだけでも十分に観る価値があると思います。もう一度、映画館で見て見たい!
2015年4月23日木曜日
2015年4月21日火曜日
映画目録「息もできない」
<あらすじ>
暴力的な借金取りと、男勝りで勝気な女子高生。実は、借金取りは幼い頃の父親のDVがトラウマとなり今も悩まされおり、女子高生は呆けた父親の介護とぐれた弟の世話に追われ、二人とも自分の人生を投げ出しかかっていた。ひょんなことから知り合った二人は、互いを罵倒しあいながらも、徐々に距離を縮めていく。ちなみにキャッチコピーは「二人でいる時だけ、泣けた」だけど、恋愛映画ではありません。
<多分ここが面白いところ>
・「息もつかせない」ような暴力シーンの連続
喧嘩とか大立ち回りとかそういうのではありません。男が女を殴り、父が息子を殴り、借金取りが債務者を殴る。強い立場の者が、弱い立場の者を痛めつける、見ていて嫌になるような、生々しく、痛々しい暴力です。しかも、その暴力は、親から子供へ、兄貴分から弟分へ、どんどん連鎖していきます。多くの場合、劣悪な環境に生まれ育った故のことで、彼ら自身にほとんど非はありません。見続けていると、「可哀想」という同情を超えて、こっちも苦しくなってきます。たとえるなら、水の中で息を止めているような感覚です。ここまで引き込まれる映画も珍しいと思います。
<印象的なシーン>
この作品は、主に「暴力」をテーマにした作品です。暴力によって、何がどうなり、それがどういう影響をもたらすかをリアルに描いた作品です。映画のメッセージはどこにあるのか…許しだけが暴力を止める?愛は暴力の連鎖を断ち切る?…ずっと考えながら映画を観ていたのですが、衝撃的なラストを見て、理解しました。「暴力は連鎖する」それがこの映画が伝えたい唯一無二のメッセージだと思います。たとえ傷が癒えたとしても、暴力は見えないところで連鎖していくのです。違う展開はいくらでも用意できたと思いますが、そのことに殉じた製作者には恐れ入ります。
暴力的な借金取りと、男勝りで勝気な女子高生。実は、借金取りは幼い頃の父親のDVがトラウマとなり今も悩まされおり、女子高生は呆けた父親の介護とぐれた弟の世話に追われ、二人とも自分の人生を投げ出しかかっていた。ひょんなことから知り合った二人は、互いを罵倒しあいながらも、徐々に距離を縮めていく。ちなみにキャッチコピーは「二人でいる時だけ、泣けた」だけど、恋愛映画ではありません。
<多分ここが面白いところ>
・「息もつかせない」ような暴力シーンの連続
喧嘩とか大立ち回りとかそういうのではありません。男が女を殴り、父が息子を殴り、借金取りが債務者を殴る。強い立場の者が、弱い立場の者を痛めつける、見ていて嫌になるような、生々しく、痛々しい暴力です。しかも、その暴力は、親から子供へ、兄貴分から弟分へ、どんどん連鎖していきます。多くの場合、劣悪な環境に生まれ育った故のことで、彼ら自身にほとんど非はありません。見続けていると、「可哀想」という同情を超えて、こっちも苦しくなってきます。たとえるなら、水の中で息を止めているような感覚です。ここまで引き込まれる映画も珍しいと思います。
<印象的なシーン>
この作品は、主に「暴力」をテーマにした作品です。暴力によって、何がどうなり、それがどういう影響をもたらすかをリアルに描いた作品です。映画のメッセージはどこにあるのか…許しだけが暴力を止める?愛は暴力の連鎖を断ち切る?…ずっと考えながら映画を観ていたのですが、衝撃的なラストを見て、理解しました。「暴力は連鎖する」それがこの映画が伝えたい唯一無二のメッセージだと思います。たとえ傷が癒えたとしても、暴力は見えないところで連鎖していくのです。違う展開はいくらでも用意できたと思いますが、そのことに殉じた製作者には恐れ入ります。
2015年4月15日水曜日
フジテレビ「戦う女」が面白い
もう放送は終了してしまいましたが、
フジテレビの深夜に放送していた「戦う女」が
ものすごく面白かったです。
「戦う女」は
「女性のパンツ(下着)」にまつわる
女性ならではの葛藤を描いた、
1話完結(30分)のオムニバスドラマ。
※リトルモア発刊の小泉今日子さんのエッセイをもとに、
広告クリエイターとして著名な高崎卓馬さんが
企画・脚本を務めているそうです。
http://www.littlemore.co.jp/tatakauonna/
ストーリーは門脇麦さん演じる下着店に、様々な女性がやってきて
「自分に合った下着を探す」という件から展開していきます。
たとえば、ちょっと内気な中学生女子が、
塾のイケメン講師に振り向いてもらうために
初めて自分で自分の下着を買いに来たり。
たとえば、恋人との同棲生活に鬱屈した保母さんが、
勤め先の上司との大人の恋愛に憧れて、
恋人に内緒で黒いレースの下着を買いに来たり。
根っこにあるのは
「女性は下着を経て、成長していく」という大きなテーマ。
下着で、自分を変える、理想の自分を手に入れる、自分を表現する、
と言うのは男には理解できない部分もありますが、
「今の自分に納得できず、
理想の自分にちょっとでも近づきたいけど、
具体的に何をどうしていいかよく分からないし
自分を変えることには不安がある」
という気持ちは男女共に同じ。
だから、ちゃんと共感できます。
毎回、女性の下着姿のシーンがあるのですが
セクシャルな感じは全くありません。
第3話で、主人公が一生懸命選んだ下着を、
がっつく上司に一瞬で脱がされる(ガバって)
というシーンがあるのですが、
それもエロさとか全くなくて、
むしろ、コミカルで、同時に
「人生って残酷だな」って思いました。
切なくて、面白い。
面白くて、切ない。
そんなドラマです。
余計な台詞がほとんどなくて、
一つひとつの映像がものすごいキレイで、
しかもキレイなだけじゃなくて、
「これはきっと、こういう気持ちを表現しているんだろうな」
なんて深読みさせるようなイメージがあって、
テレビドラマというか、映画を観ているような感じ。
さすがは、高崎卓馬さんです。
僕は以前から広告畑の人が「伝える力」を活かして
本気でドラマを作ったら
絶対面白くなるって思ってましたけど、
やっぱりその通りでした。
30分でも、これだけのものが作れるんだよなー。すごい。
フジテレビの深夜に放送していた「戦う女」が
ものすごく面白かったです。
「戦う女」は
「女性のパンツ(下着)」にまつわる
女性ならではの葛藤を描いた、
1話完結(30分)のオムニバスドラマ。
※リトルモア発刊の小泉今日子さんのエッセイをもとに、
広告クリエイターとして著名な高崎卓馬さんが
企画・脚本を務めているそうです。
http://www.littlemore.co.jp/tatakauonna/
ストーリーは門脇麦さん演じる下着店に、様々な女性がやってきて
「自分に合った下着を探す」という件から展開していきます。
たとえば、ちょっと内気な中学生女子が、
塾のイケメン講師に振り向いてもらうために
初めて自分で自分の下着を買いに来たり。
たとえば、恋人との同棲生活に鬱屈した保母さんが、
勤め先の上司との大人の恋愛に憧れて、
恋人に内緒で黒いレースの下着を買いに来たり。
根っこにあるのは
「女性は下着を経て、成長していく」という大きなテーマ。
下着で、自分を変える、理想の自分を手に入れる、自分を表現する、
と言うのは男には理解できない部分もありますが、
「今の自分に納得できず、
理想の自分にちょっとでも近づきたいけど、
具体的に何をどうしていいかよく分からないし
自分を変えることには不安がある」
という気持ちは男女共に同じ。
だから、ちゃんと共感できます。
毎回、女性の下着姿のシーンがあるのですが
セクシャルな感じは全くありません。
第3話で、主人公が一生懸命選んだ下着を、
がっつく上司に一瞬で脱がされる(ガバって)
というシーンがあるのですが、
それもエロさとか全くなくて、
むしろ、コミカルで、同時に
「人生って残酷だな」って思いました。
切なくて、面白い。
面白くて、切ない。
そんなドラマです。
余計な台詞がほとんどなくて、
一つひとつの映像がものすごいキレイで、
しかもキレイなだけじゃなくて、
「これはきっと、こういう気持ちを表現しているんだろうな」
なんて深読みさせるようなイメージがあって、
テレビドラマというか、映画を観ているような感じ。
さすがは、高崎卓馬さんです。
僕は以前から広告畑の人が「伝える力」を活かして
本気でドラマを作ったら
絶対面白くなるって思ってましたけど、
やっぱりその通りでした。
30分でも、これだけのものが作れるんだよなー。すごい。
2015年4月7日火曜日
映画目録「キツツキと雨」
<あらすじ>
克彦は森で暮らすキコリ。妻に先立たれ、残された息子とも不仲。病気でタバコも吸えず、甘いものも食べられず。日々の単調な暮らしにちょっと飽きがきている。それが、ひょんなことで知り合った幸一(若手の映画監督)の映画の撮影を手伝うことに。最初は嫌々手伝っていたが、デビュー作で不安な幸一をあの手この手で勇気づけているうちに、妻の3回忌の法要も忘れて、撮影にのめり込んでいく。
<多分ここが面白いところ>
◆役所さん演じる克彦のキャラクターがとても面白いです。冒頭のシーンで木を切り倒している克彦のところに突然映画の助監督がやってきて、映画の撮影をしており、音が入ってしまうので作業を辞めてほしいとお願いするシーンがあるのですが、その噛みあわないやりとりが滑稽で。
「映画の撮影をやっているので」
「え?」
「いや、だから、下で撮影してるんで」
「え?」
「だから、一瞬やめてもらいたいっていうか」
「一瞬?」
「いや、一瞬というかしばらくというか」
「どっちだよ!?」
「どっちかというと、しばらく」
「…枝打ちは?」
「え?」
「枝打ちだよ!」みたいな。
普通なら「察する」ところなんですが、克彦は「きちんと口にしないと分からない」みたいな性格なんですね。しかも、突然怒り出す(いますよね。こういう人)。だから、息子とも上手く折り合いがつかない。滑稽なシーンだけど、主人公がよく描かれているなと思いました。
◆脚本の技法で、台詞に頼らずに心の動きや関係性を表現することを「シャレード」と言いますが、この映画はシャレードだらけです。
○克彦の妻が亡くなってまだ間もないこと
→克彦が女性用スリッパを履いて料理している。居間には仏壇。女性の写真
○克彦の息子が「家のことを顧みない」性格であること
→雨が降っても洗濯物を取りこまない
○克彦が人との距離感に無遠慮な性格であること
→温泉でわざと離れた場所に浸かっている幸一に、ぐんぐん近づいていく
○克彦がぐんぐん映画撮影にのめり込んでいくこと
→格好がどんどんAD化していく(最終的に拡声器を持ちガムテープをたすき掛け)
○最終的に克彦と息子が和解したこと
→食卓で向かい合ってご飯を食べる。しかも同じ作業着。ノリの食べ方まで一緒
「シャレード」は直接的ではないために「分かりにくい」という欠点もありますが、逆に分かった時には「なるほどね」と嬉しくなります。一生懸命映画を観ているご褒美みたいな。それに現実社会でも、何でも口で説明するわけじゃないですしね。リアリティという点でも、すごい勉強になりました。
<印象的なシーン>
当初、盛り上がりに欠けていた撮影現場ですが、克彦が加わることで俄然、活気を増します。克彦は街中の人に声をかけて、ゾンビのエキストラをかき集めるのですが、そのおかげで、日中にも街中にゾンビメイクをした人だらけ…。克彦の妹夫婦が法要のために街を訪れてびっくり。すれ違う人みんなゾンビで「何がどうなっちゃったの?」みたいな。すごい面白いシーンなのですが、沖田監督は、そのシーンを面白いだろ?っていう感じじゃなくて、淡々と映しています。それがまた面白いんですね。すごいなあと思いました。
克彦は森で暮らすキコリ。妻に先立たれ、残された息子とも不仲。病気でタバコも吸えず、甘いものも食べられず。日々の単調な暮らしにちょっと飽きがきている。それが、ひょんなことで知り合った幸一(若手の映画監督)の映画の撮影を手伝うことに。最初は嫌々手伝っていたが、デビュー作で不安な幸一をあの手この手で勇気づけているうちに、妻の3回忌の法要も忘れて、撮影にのめり込んでいく。
<多分ここが面白いところ>
◆役所さん演じる克彦のキャラクターがとても面白いです。冒頭のシーンで木を切り倒している克彦のところに突然映画の助監督がやってきて、映画の撮影をしており、音が入ってしまうので作業を辞めてほしいとお願いするシーンがあるのですが、その噛みあわないやりとりが滑稽で。
「映画の撮影をやっているので」
「え?」
「いや、だから、下で撮影してるんで」
「え?」
「だから、一瞬やめてもらいたいっていうか」
「一瞬?」
「いや、一瞬というかしばらくというか」
「どっちだよ!?」
「どっちかというと、しばらく」
「…枝打ちは?」
「え?」
「枝打ちだよ!」みたいな。
普通なら「察する」ところなんですが、克彦は「きちんと口にしないと分からない」みたいな性格なんですね。しかも、突然怒り出す(いますよね。こういう人)。だから、息子とも上手く折り合いがつかない。滑稽なシーンだけど、主人公がよく描かれているなと思いました。
◆脚本の技法で、台詞に頼らずに心の動きや関係性を表現することを「シャレード」と言いますが、この映画はシャレードだらけです。
○克彦の妻が亡くなってまだ間もないこと
→克彦が女性用スリッパを履いて料理している。居間には仏壇。女性の写真
○克彦の息子が「家のことを顧みない」性格であること
→雨が降っても洗濯物を取りこまない
○克彦が人との距離感に無遠慮な性格であること
→温泉でわざと離れた場所に浸かっている幸一に、ぐんぐん近づいていく
○克彦がぐんぐん映画撮影にのめり込んでいくこと
→格好がどんどんAD化していく(最終的に拡声器を持ちガムテープをたすき掛け)
○最終的に克彦と息子が和解したこと
→食卓で向かい合ってご飯を食べる。しかも同じ作業着。ノリの食べ方まで一緒
「シャレード」は直接的ではないために「分かりにくい」という欠点もありますが、逆に分かった時には「なるほどね」と嬉しくなります。一生懸命映画を観ているご褒美みたいな。それに現実社会でも、何でも口で説明するわけじゃないですしね。リアリティという点でも、すごい勉強になりました。
<印象的なシーン>
当初、盛り上がりに欠けていた撮影現場ですが、克彦が加わることで俄然、活気を増します。克彦は街中の人に声をかけて、ゾンビのエキストラをかき集めるのですが、そのおかげで、日中にも街中にゾンビメイクをした人だらけ…。克彦の妹夫婦が法要のために街を訪れてびっくり。すれ違う人みんなゾンビで「何がどうなっちゃったの?」みたいな。すごい面白いシーンなのですが、沖田監督は、そのシーンを面白いだろ?っていう感じじゃなくて、淡々と映しています。それがまた面白いんですね。すごいなあと思いました。
2015年4月6日月曜日
ラジオドラマ「かえるくん、東京を救う」を聞いて
村上春樹さんの短編に
「かえるくん、東京を救う」という小説があります。
ある日、家に帰ると
家の中にかえるくんが待っていて
「一緒にみみずくんを倒そう。
東京を大地震から救おう」と誘われる話です。
主人公は頭も禿げ、お腹も出ている40歳男性。
信用金庫に16年勤め、不良債権回収をしている。
「ただ寝て起きて、飯を食って、クソをしている」と自らを嘲るような人。
そんな主人公に向けて
「あなたのような人にしか東京は救えない」
「あなたのような人のために東京を救いたい」
かえるくんが力説します。
何が何だかよく分からないですが、とにかく面白いです。
村上作品の普遍的テーマの一つである
「名もない市民(大衆)に対する優しいまなざし」
が随所にあふれた作品だと思います。
YOUTUBEでラジオドラマが
アップされていましたので興味のある方はぜひ。
https://www.youtube.com/watch?v=IJEi-i9Wjgc
「かえるくん、東京を救う」という小説があります。
ある日、家に帰ると
家の中にかえるくんが待っていて
「一緒にみみずくんを倒そう。
東京を大地震から救おう」と誘われる話です。
主人公は頭も禿げ、お腹も出ている40歳男性。
信用金庫に16年勤め、不良債権回収をしている。
「ただ寝て起きて、飯を食って、クソをしている」と自らを嘲るような人。
そんな主人公に向けて
「あなたのような人にしか東京は救えない」
「あなたのような人のために東京を救いたい」
かえるくんが力説します。
何が何だかよく分からないですが、とにかく面白いです。
村上作品の普遍的テーマの一つである
「名もない市民(大衆)に対する優しいまなざし」
が随所にあふれた作品だと思います。
YOUTUBEでラジオドラマが
アップされていましたので興味のある方はぜひ。
https://www.youtube.com/watch?v=IJEi-i9Wjgc
登録:
投稿 (Atom)