<あらすじ>
イーニドとレベッカは幼馴染み。何かに熱中する人を「あいつはバカ」「こいつはクズ」とこきおろし、十代の多感な時を無為に過ごしてきた。高校卒業後、家を出て、二人で一緒に暮らす計画を立てるが、仕事を見つけて社会になじんでいくレベッカに対し、イーニドはつまらないことで揉めて仕事を首になるなど、一向に進歩がない。レベッカとも徐々に疎遠になり、寂しさを覚えるイーニドは、ある日、レコードコレクターのさえない中年男性と知り合い、はみ出し者同士、徐々に惹かれあっていく。
<多分ここが面白いところ>
・淡々と孤独を描いているところ
十代は誰にとっても、多かれ少なかれ孤独なものです。「どうして誰もわかってくれないんだ」とか「みんな死ね」とか「自分だけは特別だ」とか。暴力とか、いじめとか、ドラッグとか、そういうツールを使って描くのは割と簡単ですが、本作ではそういうのを一切使わないで、正面から「孤独」を描いています。親友がいるけど、別に心の友ってわけじゃなくて、単に暇を潰す仲にすぎなくて、でも、いないよりはマシで、とりえあずキープって感じなんだけど、いざいなくなってみるとやっぱり寂しくて、周りを見回してみたら私なんていてもいなくても関係ない、誰も必要としていないのに気付いて、だったら、誰も自分を知らない、ここじゃないどこかに行きたくなった…みたいな。書いていると鬱々としてきますが、この作品はそういう暗さも特にありません。共感も同情もしない代わりに、批判も評価も一切なし。淡々と進んでいきます。その「淡々さ」にむしろリアリティを感じました。
・意味のない会話に意味があるところ
といっても別に伏線になっているとか、そういうわけじゃありません。たとえば、イーニドとレベッカの間で「やる」という表現がよく出てきます。「あいつと超やりたい」とか「やらなすぎてストレスたまってきた」とか「とりあえずやる」とか「すげーやりたい」とか。よく聞いてみると分かるのですが、二人の会話はこのように、ほぼ会話になっていません。そもそも趣味も全然合ってないし。それでも会話になってしまうのが十代のリアルなのかもしれませんが、私は、その裏に「親友面した軽薄な関係」というのも見え隠れしたような気がしました。実際、二人は高校を卒業したら疎遠になっていったわけですし(私も若い頃にこういう関係が多々ありました)。作品を作ろうとした場合、話を早く前に進ませたくて、「打てば響くような会話」を作りがちですが、本作のように「キャッチボールになっていないぶつ切りの会話」も、そこに意味があるなら、ありだなと思いました。
<印象的なシーン>
映画は「世の中の一切を小馬鹿にして、興味を持たないイーニドが、なぜか、来ないバスを待っているボケ老人に心を惹かれる」という設定なのですが、それはもちろん、「現実からの逃避」を意味します。空想レベルではなく、「物理的に逃げ出したい」ということなのだと思います。ラストシーンでは、絶望したイーニドの前に、来るはずのなかったバスがきます。そして、イーニドはバスに乗ってどこかへ去っていきます。「自立」なのか「自殺」なのか、結論は特にありません。すっきりしないけど、私は、こういう映画なら、結末は観る人に委ねる、というのもありかなと思いました。
2015年9月25日金曜日
2015年9月3日木曜日
映画目録「プロミス・ランド」
<あらすじ>
石油に代わる、次世代のエネルギーとして期待される「シェールガス」。その開発用地を仕入れるために、ペンシルヴァニアの田舎町にやってきた主人公。いつものように住人達を「足の下に金が埋まってる。それを掘り出して、人生を変えるんだ」と口説き落としていくが、ある時から「シェールガスは環境破壊を伴う」という反対運動に合い、交渉がうまく進まなくなる。住人達からはそっぽを向かれ、意中の女性からも距離を置かれ、次第に、仕事への信念や情熱が揺るがされていく主人公。名誉回復のために、地元みんなで盛り上がれるお祭りを企画するが…
<多分ここが面白いところ>
・善悪の境界線を設けてないところ
「農村部の貧困」「環境破壊」を描いたドラマはたくさんありますが、この映画は、開発会社のエリート社員を主人公にしている時点で、面白いと思いました。一般的に「開発会社=悪者」となりがちですが、この映画は、悪者が特に見当たりません。みんな、自分の生活や夢や希望があって、それなりに葛藤を抱えながら生きています。そのドラマが、きちんと描けていたのが好感を持てました。
・日々の営みに対する考え方のギャップ
この映画は、主人公と、それを取り巻く人々との間にある“ギャップ”が大きなテーマになっています。それは、色んなシチュエーションで細かく表現されていますが、具体的・明確に「これ」と表現されることはありません。私が思うに、それは『何気ない日々の営み』に対するとらえ方なんじゃないかと思います。よく、女の人で、付き合っている男の人に、悩みや不安を愚痴る人、いますよね。で、男が「じゃあこうしたら」って解決策を提示すると、「そんなこと聞いてるわけじゃない」みたいな。別に、解決してほしいわけじゃないんですよね。自分の人生を共有したいというか、何というか。主人公はいい奴なんだけど、こういった日々の小さな営みに、まったく理解がないんですね。むしろ「解決策を提示してるのに、何で怒るんだ?」と思っちゃう。私も似たようなところがあって若い頃はずいぶん苦しめられたので、主人公の気持ちになってみてしまいました。
<印象的なシーン>
主人公が一人、酒場で酒を飲んでいるとき、反対派の住人が絡んできます。「てめえも農家出身なんだろ? こんなことして恥ずかしくねえのか!?」みたいな感じで。そん時、主人公が言い返すんですよね。「あんたらが手に入れるのは、はした金じゃない。人生を変える、ぶっ飛ばし金なんだ。子供を大学に行かせられない? ぶっとばせよ。銀行に金が返せない? そんなのぶっとばせ」と。これを聞いた住人達は、怒ります。でも、主人公は、なぜ彼らが怒るのか理解できません。主人公と住人達の間にある、埋めがたい溝(人生に対する考え方の差)を、うまく表現していたと思います。
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