<あらすじ>
克彦は森で暮らすキコリ。妻に先立たれ、残された息子とも不仲。病気でタバコも吸えず、甘いものも食べられず。日々の単調な暮らしにちょっと飽きがきている。それが、ひょんなことで知り合った幸一(若手の映画監督)の映画の撮影を手伝うことに。最初は嫌々手伝っていたが、デビュー作で不安な幸一をあの手この手で勇気づけているうちに、妻の3回忌の法要も忘れて、撮影にのめり込んでいく。
<多分ここが面白いところ>
◆役所さん演じる克彦のキャラクターがとても面白いです。冒頭のシーンで木を切り倒している克彦のところに突然映画の助監督がやってきて、映画の撮影をしており、音が入ってしまうので作業を辞めてほしいとお願いするシーンがあるのですが、その噛みあわないやりとりが滑稽で。
「映画の撮影をやっているので」
「え?」
「いや、だから、下で撮影してるんで」
「え?」
「だから、一瞬やめてもらいたいっていうか」
「一瞬?」
「いや、一瞬というかしばらくというか」
「どっちだよ!?」
「どっちかというと、しばらく」
「…枝打ちは?」
「え?」
「枝打ちだよ!」みたいな。
普通なら「察する」ところなんですが、克彦は「きちんと口にしないと分からない」みたいな性格なんですね。しかも、突然怒り出す(いますよね。こういう人)。だから、息子とも上手く折り合いがつかない。滑稽なシーンだけど、主人公がよく描かれているなと思いました。
◆脚本の技法で、台詞に頼らずに心の動きや関係性を表現することを「シャレード」と言いますが、この映画はシャレードだらけです。
○克彦の妻が亡くなってまだ間もないこと
→克彦が女性用スリッパを履いて料理している。居間には仏壇。女性の写真
○克彦の息子が「家のことを顧みない」性格であること
→雨が降っても洗濯物を取りこまない
○克彦が人との距離感に無遠慮な性格であること
→温泉でわざと離れた場所に浸かっている幸一に、ぐんぐん近づいていく
○克彦がぐんぐん映画撮影にのめり込んでいくこと
→格好がどんどんAD化していく(最終的に拡声器を持ちガムテープをたすき掛け)
○最終的に克彦と息子が和解したこと
→食卓で向かい合ってご飯を食べる。しかも同じ作業着。ノリの食べ方まで一緒
「シャレード」は直接的ではないために「分かりにくい」という欠点もありますが、逆に分かった時には「なるほどね」と嬉しくなります。一生懸命映画を観ているご褒美みたいな。それに現実社会でも、何でも口で説明するわけじゃないですしね。リアリティという点でも、すごい勉強になりました。
<印象的なシーン>
当初、盛り上がりに欠けていた撮影現場ですが、克彦が加わることで俄然、活気を増します。克彦は街中の人に声をかけて、ゾンビのエキストラをかき集めるのですが、そのおかげで、日中にも街中にゾンビメイクをした人だらけ…。克彦の妹夫婦が法要のために街を訪れてびっくり。すれ違う人みんなゾンビで「何がどうなっちゃったの?」みたいな。すごい面白いシーンなのですが、沖田監督は、そのシーンを面白いだろ?っていう感じじゃなくて、淡々と映しています。それがまた面白いんですね。すごいなあと思いました。
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